人種差別や民族差別、男女差別などなど、この世界は差別に充ち満ちていますよね。悲しいことです。「あいつは○○だから□□だろう」という物言いに違和感を感じるようになる、それが正しい教育の成果だと思っています。
ごくごく平凡な日本人であるマイスターにとって、子供の頃から最も身近だった差別と言えば、やはり男女差別です。
学校という場においては、さすがにかなり是正されてきていますが、日本の社会全体においては、男女差別はまだまだ根強く残っています。
女性社員にだけ問答無用でお茶くみを担当させる会社、まだまだ多いです。
「寿退社」の圧力がしっかり存在している会社もあります。
「三歳まではママが側にいないとかわいそうよ」という圧力をかける親戚一同も、おそらくそこら中にいます。(パパの扱いはどうなってるんだとマイスターは問いつめたい)
不合理な男女差別、断固許すまじぃ~!
ただ、そんな働く女性に優しいマイスターでも、ちょっと疑問に思うことはあります。男女平等がこれだけ声高に叫ばれ、「女性だから○○」という言い方がなくなってきた現代においても、なぜか
「あなたは男なんだから、○○でなきゃダメでしょ」
という言い方が無くなる気配がありません。不思議です。
男なんだから強くなきゃダメ、泣いちゃダメ、みんなを引っ張っていかなきゃダメ。
マイスターは小さな頃、暴力での解決を嫌い、他人の涙につられてすぐ泣き、小さな子供がいると抱きしめたくなるという、いったいどこのヒロインだお前は、みたいな性格だったのですが、そんなマイスターに周囲は「男なんだから…」と言い続けました。
あれれ? 「女だから…」って言い方はNGなのに、「男だから…」って言い方はいいのかよぉ!?
…と、何度も思ったもんです。
しかも、そういう「男の子は泣かないの!」みたいな指導をする人って、困ったことに、女性に多いんですよね。
「男っぽい」女性は責められないけど、「女っぽい」男性は周りから矯正される。
そんな社会の不条理を、小学校中学年頃に既に感じていた、やさぐれマイスターです。そんなマイスターが、「逆差別」という言葉を知ったのは、高校生の時でした。
というわけで今日は、教育における「差別/逆差別」を考えさせられる話題を、ご紹介します。
【教育関連ニュース】—————————————-
■「インド、被差別階層の子弟に国立大学の門戸解放?」(JANJAN)
http://www.janjan.jp/world/0606/0606065578/1.php
■「インド教育改革 世論分裂 国立大定員 半数を被差別層枠に」(Asahi.com)
http://www.asahi.com/kansai/wakuwaku/info0601-8.html
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情報技術などの経済成長が著しいインドで、国立大学入学定員の半数を被差別者のための特別枠にする新制度導入をめぐって世論が大きく割れている。カースト制度で差別を受けてきた人たちに高等教育を受ける機会を増やそうという狙いだが、学生や医師らは大学のレベルが低下すると反対している。背後には優遇策を政治の道具にしようとする政治家たちの思惑も見える。
(略)
インドの国立大学の入学定員はこれまで、ヒンドゥー教のカースト制度の最下層出身者や少数民族に定員の22.5%が割り当てられ、一般学生より低い得点でも合格が認められた。政府が打ち出した新たな特別枠は、上位カーストと被差別カーストの間の階層にも27%の特別入学枠を設けようというもの。従来と合わせると入学定員の半分が特別枠になる。
4月初め、アルジュン・シン人材開発相が全国に7校ある国立工科大学や6校ある経営大学、医大など国立大に導入する方針を示すと、学生の反対デモは各地に広がった。
(Asahi.com記事より)
世論調査では、市民の多くは、AAを支持している。学生受け入れ枠を最高54%増加するとの政府打開策は、スタッフの増員も含めた高等教育インフラの大幅拡大ができるか否かにかかっている。政府は、1年後の実施に向けて特別委員会と3つのサブ委員会を設立したが、反対派は、遅れが出ようものならAAそのものを阻止しようとてぐすねを引いている。
(JANJAN記事より)
このように、インド当局が新たに発表した方針が、激しいデモを引き起こしているようです。
それもそのはず。
今回の政策は、国立大学の定員の約半数を、決められた身分階級の人々のために割り当てるという内容なのです。
大学入試において、成績の優れた上位カーストの学生よりも、成績が劣る下位カーストの学生の方が優遇される訳ですね。
上位カーストの学生にとってみれば、一所懸命勉強して結果を出しても不合格になり、自分より成績の悪い学生がカーストの差だけで合格する、という事態なのです。
で、「それは逆差別じゃないのか」という意見が当然わき上がりまして、現在、派手に反対運動が起こっているというわけなのです。
さて、JANJANの記事に、「世論調査では、市民の多くは、AAを支持している」という記述がありますね。
この「AA」こそ、今回ご紹介する、「Affirmative Action」のことなのです。
【Affirmative Action(アファーマティブ・アクション)】—
「積極的差別是正措置」などと訳される。
○差別の結果に対する是正として行われる措置及びそれに類することを言う(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
○「アメリカ合衆国で、企業・団体・学校が、人種・出身国・性別等を理由とする雇用・教育上の差別を行わないだけでなく、差別を受けてきた黒人(アフリカ系アメリカ人)等の少数民族や女性の社会的地位の向上のために雇用・教育に関わる積極的な優遇措置をとること、または連邦政府の施策や法廷の命令により、企業等に対してそのような措置を義務づけることを指す。」(平岡公一『福祉社会事典』,弘文堂,1999年)
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「アファーマティブ・アクション」をマイスターなりに説明すれば、
「機会の平等」のみならず、「結果の平等」にも一歩踏み込んだ形で、マイノリティの社会的地位を引き上げ、格差を解消しようとする行為
…となります。
今回のインドの例が、その典型です。
○カーストによる階級差別は撤廃されているが、依然として、カースト差別は残っている。カーストの高い者は小さな頃から恵まれた教育を受ける機会を得やすいので大学にも進学しやすいが、カーストの低い家庭は所得も低く、子供が大学に進学する確率は低い。このままでは、格差はなかなか解消されない。
↓
○たとえ成績で劣っていたとしても、カーストの低い者を優先的に大学に合格させ、格差を是正するべし
という論理ですね。
これまでも、国立大学の入学定員の1/4程度が、カーストの低い学生に割り当てられていたのですが、今回は、それが1/2になるのです(是正の対象となるカーストも増えるみたいですけれど)。上位カーストの学生にとっては、いっそう自分達の合格確率が低くなったわけですから、怒るのも無理はありません。
とはいえ、ある程度のアファーマティブ・アクション政策がなければ、大きすぎる格差が縮まらないというのも、確かに真実なのかもしれません。
正直言って、マイスターのような平凡な日本人には、このようなアファーマティブ・アクションの本当の社会的意義は、なかなか想像しづらいところです。「機会の平等」までは身近にイメージできても、「結果の平等」となるともはや、想像の範疇を超えています。
しかし、現実にインドやアメリカなどではこうしたアファーマティブ・アクションの発想が大学入試に導入されているわけですから、ことの深刻さはわからないでもありません。
アファーマティブ・アクションは、考えれば考えるほど、教育というもののあり方について私達を悩ませます。
「社会の格差を無くす」ということを目指すのが教育なのか、
「個人の実力を公平に活かす」ということを目指すのが教育なのか。
国家にとって、個人にとって、いったいどういう教育のあり方が理想なのか。
教育に正解はないのだということを、改めて私達に認識させます。
というわけで、オチも結論もありませんが、
【アファーマティブ・アクション】の動きについてご紹介しました。
マイスターでした。
インドにはハリジャンというカースト制度にすら組み込まれない人々(ほぼ人間として扱われない、奴隷以下)がいるぐらいですから、AAのような「劇薬」もしばらくの間は仕方ないのかもしれません。
「結果の平等」は難しいものです。これは当人よりもその子供の問題で、恵まれない環境に生まれついてしまった子供は、いくら機会が平等であろうともその機会を活かす、知悉できる立場にいられないことがあります。
かといって結果を平等にしてしまうと、努力家のやる気を殺ぐことになります。
重要なのは機会の平等を、単に制度的によりも、徹底することなのでしょう。
インドにはハリジャンというカースト制度にすら組み込まれない人々(ほぼ人間として扱われない、奴隷以下)がいるぐらいですから、AAのような「劇薬」もしばらくの間は仕方ないのかもしれません。
「結果の平等」は難しいものです。これは当人よりもその子供の問題で、恵まれない環境に生まれついてしまった子供は、いくら機会が平等であろうともその機会を活かす、知悉できる立場にいられないことがあります。
かといって結果を平等にしてしまうと、努力家のやる気を殺ぐことになります。
重要なのは機会の平等を、単に制度的によりも、徹底することなのでしょう。
申し訳ありません。投稿が反映されず二重投稿してしまいました。2、3の投稿は削除していただければ幸いです。