授業評価は「手段」であって、「目的」ではない

大学で働きだしても一年半くらいになりますが、「大学って…なんだかおかしいよなぁ」と思うことは今でもしょっちゅうある、マイスターです。

【教育関連ニュース】—————————————-

■「学生による授業評価 全大学の97%が導入」(Asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0606/TKY200606060565.html
■「学生の授業評価、大学の97%が導入」(NIKKEI NET)
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20060611AT1G1001E10062006.html
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2004年度の時点で、日本の全大学の97%が、学生による授業評価の取り組みを導入しているとの報道です。
これらの記事の元になっている情報は、↓こちらです。

■「大学における教育内容等の改革状況について」(文部科学省)
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/18/06/06060504.htm

PDF形式でレポートが公開されていますので、ご興味のある方はどうぞ。
2002年以降、授業評価の取り組みが着実に浸透している様子が、グラフで示されています。どのような授業評価項目が多いかもまとめられています。

ちなみに、全大学の97%とありますが、国立大学に限れば100%だそうです。

さて、授業評価の取り組みが広がっているのは大変結構なことです。

ただ、冒頭で申し上げた通り、大学の世界には「なんだかおかしいよなぁ」と思えることがいっぱいあるわけでして、マイスターがよくそれを感じるのが、この「授業評価」なのです。

わかりやすく申し上げますと、

「この授業評価を実施することで、本当に授業が良くなって、学生の満足度が向上しているのかなぁ?」

という疑念が、個人的には消えないのです。
さらに言ってしまうと、

「本当に、授業を良くして、学生の満足度を向上させるために授業評価を実施しているのかなぁ?」

と、思っているのです。

毎年、授業の評価が低い教員って、いると思います。
そうした人は基礎研修に送り込むとか、あるいは授業をさせないことにするとかいった対応が必要だと思いますが、そういった対応をやっている大学は、どのくらいあるのでしょうか。

「前年と比べて授業の評価値がどのくらい改善されたか」というデータを分析し、改善の見られない教員は呼び出して面談を行う、なんて大学、どのくらいあるでしょうか。

他の教員あるいは学生に、授業評価の結果を公開している大学、どのくらいあるでしょうか。

マイスターが思うに、授業評価の結果を使って、授業に対する満足度の向上を図るのなら、上記のようなことはどれも必要です。
でも、多くの大学では、こういうことをやっていない、やれていないのではないでしょうか?

あなたの大学では、授業評価の結果を、

○数字の統計(全体の集計値)は、教員に公開
○各授業に関する個別の情報は、その担当者にのみ公開

…と、このように扱っていませんか?

実は、マイスターの勤務先も、こういう扱いをしています。
大学にお勤めの方ならよくおわかりでしょうが、教員に配慮して、もっとも当たり障りのないやりかたをしようとすると、こういう方法になるのですよね。
(う、自分で書いておきながら、耳が痛いです!)

さて、これで問題のある授業が駆逐されるかというと、答えはノーです。

もともと授業に熱心な教員は、授業評価結果を元に細かいところまで改善しようとしますが、もともと授業評価の低い教員には、「そもそも自分の授業の評価が低いのは学生が悪いからだ」、と思っている方が少なくないようで、そういった方は全然数値が改善されません。

また、こういう授業評価結果って、同じようにやっていても、そのときどきで評価がばらつきますよね。そうしたことから、「結局、学生はノリで答えているだけじゃないか。こんないい加減な調査、役に立たない」と考えてしまう方も、おられるようです。

本来、「学生のため」にやるはずの授業評価です。
授業を改善するための「手段」であって、目的ではありません。

でも、ほとんどの大学では、手段としてのアンケート導入に終わっている気がします。

○世の中で、授業アンケートが流行しているらしい。
○ライバル校も導入したらしい。
○文部科学省も、普及させようとしている雰囲気だ。

 ↓

○とりあえず本学でも実施してみよう。さっそく、授業評価ワーキンググループを作って、どんなやり方がとれるか審議しよう。

 ↓

「審議の結果、やはり個別の結果を公表するのは問題があるということで、原則非公開とすることにいたしました」

 ↓

○授業アンケートが回収されたら、事務局に集計させよう。おい事務局、ちゃんと先生方に結果をお配りしておくんだぞ。

 ↓

○各教員に結果が渡って、めでたしめでたし。あとはご本人達が勝手に、そのデータを使って授業を改善してくれるに違いないよね。

 ↓

○「本学は、授業評価を実施しているので、教育力が高いんです」とパンフに印刷。

あなたの大学は、こんなんじゃありませんか?

上の例で行くと、マイスターはなんかもう、ワーキンググループを作って審議している時点で、評価の低い授業を駆逐したり、あるいは改善を迫ったりという仕組みにはなりにくいような気がします。
問題を解決するためにおこなう調査ですから、「問題」な授業をやっている教員にとっては、大変なプレッシャーがかかって当然の行為なんです。それなのに、プレッシャーがかからないようにしてあげようという同僚の心遣いが働いている時点で、もう本来のミッションから離れているように思います。

授業評価を行うときに出てくる論理って、

○本学は、授業評価をやっている
→だから、教育の質は向上している

みたいなものが多いと思いませんか。
実際、文科省の発表も「97%もの大学で授業評価が行われているのだから、我が国の高等教育は良くなっているのです」という主旨で行われているような印象を受けます。

本来は逆です。
授業評価はあくまでも手段ですから、評価をやっているかいないかは、どうでも良いのです。それより、結果として授業への満足度がどのくらいになったのかが、重要であるはずです。
にもかかわらず、手段であるはずの授業評価が、まるで目的そのもの、成果そのものであるかのように扱われるのは、ちょっと危険です。

毎年高いカネを使って大規模な調査を実施し、結果として顧客満足度が変わっていかなかったとしたら、営利企業でなら大問題です。調査を行った担当部署の責任者は、成果を出せない無能なスタッフという評価を下されることになるでしょう。だって実際、何も改善されなかったわけですからね。

でも大学だと、「授業評価をちゃんとやった」というところで、関係者達がすっかり満足してしまい、それから先の、本来の目的のところにまで進まないのが常態なのです。

大学は、何かあるとすぐ、ワーキンググループとか委員会をつくって対応しますが、実は、対応した気になっているだけ、ということも多いんじゃないかとマイスターは思います。
カタチから入ることで、安心するのかもしれません。「ちゃんと審議した」ということで、満足してしまうのかも知れません。
こういうところ、大学は教員も職員もやっぱりどこかお役所的なんだよなぁ、と思ってしまうマイスターなのです。

授業評価だけにとどまらず、大学改革と呼ばれる行為の中には、こういった事態に陥っているものがけっこうあるような気がします。

委員会を作ったり、報告書を出したりすることが、問題を解決する手段ではなくて、「目的」そのものになってしまっている。ひどいときには、委員会や報告者が、改革の「成果」とされてしまっている。でもそんなことではきっと、いつまで経っても、どれだけ資源を投入しても、大学は良くならないのですよね。

あなたの大学はどうですか?

以上、マイスターでした。

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(過去の関連記事)
・授業アンケートのプライバシー VS 授業を向上させる責任(前編)
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50110455.html
・授業アンケートのプライバシー VS 授業を向上させる責任(後編)
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50110749.html

6 件のコメント

  • いつもブログを読ませて頂き、勉強させてもらってますm(_ _)m。
    僕は大学院生なのですが、所属研究室の先生方の講義を手伝う機会が多いです。期末には各講義の授業評価を学生がマークシートやネットで行います。しかし、匿名で行うので、授業評価というより先生が好きか嫌いかの評価みたいな内容になっているように思うことが多々あります。評価用紙にはコメント欄もあるため、単なる悪口のようなものを記入する学生も出てきます。そんなものは無視すればいいのですが、なんのために記入したのかわからないようなコメントも多く見られます。
    評価できるほど講義に参加していなかった学生の意見も加算されています。
    多くの学生は授業評価の目的は知らないで評価しているように思います(僕も当時はそうでしたし)。他大学では、評価の目的を学生に知らせているのでしょうか。
    授業評価って変だな~、と僕も思ったことがあったので投稿しました。

  • 確かに、授業評価は手段だと思います。一方、普段から学生からの評価が低い教員は、授業評価を行いません。大学からの要請を拒否しているようです。まずは授業評価を受けようとする姿勢があるかで、教員の質がわかるような気がします。

  • そもそも大学の授業を教えに来ている人は研究者であって教育者ではないのが現状です!
     大学の授業を教えに来るのに研究者なんていうのは要らないと思います! 研究者である教授に授業を任せるのは教授にとっても学生にとっても迷惑です! 授業を教えに来るのに必要な人とは塾や予備校の講師みたいな先生です! いい授業評価をもらっている先生にはそれなりのギャラをアップさせるようなシステムにしてほしいです!

  • 前の方の書き込みから分かるように、現代の大学に通う学生の多くは基礎力が欠如している小学13年生~16年生です。それを相手にするのに、研究者は確かに必要ありませんね。中学校に戻って教育を受け直すべきです。

  • 学問の世界は新たなことが発見され、内容が変わっていきます。研究はしないが教え方がうまい人気のある教員がいます。この教員は、話はうまいですけど、新しい発見が教科書人に載るまで新しい発見の話はしません(発見そのものに気づいていない)。
     一方、話し方はあまりうまくありませんが、一生懸命研究している教員がいます。この教員は、教え方もあまりうまくありませんが、講義の中に新しい発見を入れています。しかしながら、学生の評価は間違いなく、先の教員が上です。ちなみにこの後者の教員は、講義評価の不評がもとで、来年から、1科目担当を外される予定です。学科長は、この先生がその専門に以下に詳しいかに気づいていません。