「Japanese Education Ministry Plans to Modernize Graduate Schools」

マイスターです。

読んでいるとかっこよく見える業界紙、「The Chronicle of Higher Education」に、日本の大学院改革に関する記事が掲載されていました。

【教育関連ニュース】—————————————-

■「Japanese Education Ministry Plans to Modernize Graduate Schools(英文)」(The Chronicle of Higher Education)
http://chronicle.com/daily/2006/05/2006051006n.htm

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さすがに、いくら引用とは言え有料記事の文面をここにそのまま転載するのはどうかと思いますので、簡単に記事の概要をご紹介しますと、↓こんな感じです。

○日本の文部科学省が大学院の改革に乗り出している。それは、封建的な徒弟制度から大学院生達を解放し、その分、自分達の研究に従事できるようにする内容である。

○これまで日本では、大学院は主として、自校の次世代の教授達を供給するための機関だった。大学院生達は自分達の研究テーマが何であろうが、研究室で指導教員の補助を行う、無給の労働者として振る舞うことを期待されてきた。指導教員達から退屈な(しばしば、意味のない)作業を命じられることも多く、教員の職権濫用が、当たり前のこととして普及した。ここでのコンセプトはこうだ。「学生は若い研究者として、教授の背中から学ぶものだ。」つまり学生が自分で自分の研究を進めていくことは奨励されなかったのだ。

○文部科学省の新しいガイドラインでは、研究よりも教育に重点が置かれるという。教授は「監督する」のではなく、これからは手助けしたり教育したりという役割が期待されるようになるだろう。

○日本の大学院生は増加の一途を辿っている。学部を卒業してすぐ大学院に進学する伝統的な大学院生だけではなく、社会人学生や留学生も加わり始めている。そして学生の種類や規模が増加するとともに、大学院のシステムに対する学生の不満も膨れあがってきている。産業界からも不満の声は挙がっている-なぜなら、使える知識を備えた学位保有者を十分に見つけることが、企業にとって困難になってきているからだ。

○日本の文部科学省はまだ、年ごとの詳細な改革プランを持っていない。その代わり、毎年大学院のプログラムを評価することが、大学院教育の質を高めるのではないかと考えている。それに加え、ビジネスや産業からのニーズを受けることで、大学が変わっていくことを期待している。

※マイスターなりに元記事の内容を日本語で要約しました(訳がどこか間違っていても責任はとれませんのでご了承ください)

以上、いかがでしょうか。
この記事のネタ元になっているのは、おそらくこれ↓です。

■「『大学院教育振興施策要綱』の策定について」(文部科学省)
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/18/03/06032916.htm

※マイスターも以前、この「大学院教育振興施策要綱」報道に関して記事を書きました。
・“徒弟制”一掃、文科省が大学院を抜本改革へ
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50190095.html

文科省のレポートをネタ元にしているだけあって、この「The Chronicle of Higher Education」記事の指摘のほとんどは、日本の大学院の痛いところをズバリついていると思います。

確かにアメリカのそれに比べれば、日本の大学院教育は、
きちんと計画されているか、
きちんと実施されているか、
組織として、きちんと一定の教育目標と教育成果をマネジメントしているか、

そのあたりが、どうにもあやしいです。

今回の記事でも、日本の大学院の「封建的な徒弟制」が厳しく指摘されちゃっています。

記事タイトルの「Modernize(近代化)」という言葉はつまり、日本の大学院の教育手法が前近代的だということを言っているわけです。手厳しい。
でも、この記事が書いていること、全体としては、マイスターも同意です。

もちろん実際には、日本の大学院でも、学問分野によって事情が若干異なったりはするでしょう。例えば工学系の修士課程では比較的、設計や演習などのコースワークをやる機会が多い気がします。また、日本の大学院生の増加を支えている要因の一つが近年登場した「専門職大学院」であり、ここではコースワーク中心のカリキュラムが作られているといったことも、この記事では触れられておりません。
ですからこの記事の指摘が現在の日本の大学院すべてに当てはまるとは言えません。

とは言え、記事に書かれているように、日本で「大学院=(自校の)研究者養成」という見方がこれまで支配的だったのは事実。自校の教員を供給するための機関でしたよねと言われたら、おおむねその通りです、と答えても間違いではないと思います。
そして、そういった大学院でしばしば、「徒弟制」に偏重した教育システムが採用されていたというのも確かです。

そして、産業界からの要望(不満?)を受けて、ようやく日本の大学院が変わってきたということもおそらく、おおむね本当のことです。

アメリカの高等教育業界紙に「日本の大学院がようやく変わってきそうだ」という記事が書かれているということは、裏を返せば、今現在まで日本の大学院の評価が国際的にどえらく低かったということを意味しているのでしょう。
もし、この記事に書かれているような点が改善できなかったら、いつまでも評価は低いままです。

そう考えると、この「The Chronicle of Higher Education」の記事は、海の外からの「警告」として受け取っておいた方がいいのかと思います。せっかく「変わるかも」と期待してもらえているのに、これで変われなかったら、日本の大学院は完全に国際舞台から取り残されてしまうのではないでしょうか。

文科省の「大学院教育振興施策要綱(PDF)」では、今後の大学院教育改革の方向性として、以下の3つが設定されています。

◆大学院教育の実質化(教育の課程の組織的展開の強化)
◆国際的な通用性、信頼性(大学院教育の質)の確保
◆国際競争力のある卓越した教育研究拠点の形成

「国際」の文字が躍っていますね。
こちら、実施機関は、平成18年度から平成22年度までです。

果たして平成22年の「The Chronicle of Higher Education」では、

「世界中から注目を集める日本の大学院教育!」

みたいな記事タイトルを見つけることができるのでしょうか。
(おそらく、そういう状態を目標にするってことですよね、文科省の皆様)

大学院改革の動向から目が離せないマイスターでした。

1 個のコメント

  •  この問題は、大学院だけの問題でなく、日本社会の関係性の問題であると思います。
     つまり、関係性が近代化されていないということです。上記の記事内容について、考察された著作として、阿部謹也氏の『学問と「世間」』が上梓されています。
     実質的な学問のあり方について、議論が必要であるように思います。
     反対が多いでしょうが、アメリカのように任期制の導入がない限り、しっかりしないのではないかと、個人的には思っています。
     どこまで行っても、村社会のいやなところです。