一週間で、3時間観るかどうか、というくらいです。
テレビを観ようかな、と思ったらテレビ番組表を調べ、特に観たい番組がなければスイッチを入れません。半月くらい、一度も電源を入れずにいた時があったくらいです。
ですので、マイスターが一人暮らしをしている部屋は、いつも異様に静かです。
PC向けwebに接している時間は、非常に長いです。
用がなくても、ついズルズルとネットサーフィンをしてしまいます。
ネットは調べものや勉強にも大活躍ですが、一方でマイスターにとっては、ついつい余計な時間まで費やしてしまう危険なメディアでもあります。
メールに関しては、PC向けのメールマガジンをかなりの数、購読しています。
が、全部は読みません。見出しを見て、興味がわかない時は飛ばします。
ケータイwebは、電車の待ち時間などに、見ます。
タウン情報が中心です。
ケータイメールは、必要な時以外、あまり使いません。(パソコンのタイピングの方が早いので、めんどくさい…)
雑誌は、webプロデューサーとして企画を立てる仕事をしていた時以来、なるべく様々なものを読むようにと心がけています。
電車の移動中にざーっと読んでしまうことが多いのですが、結構冊数がありますので、メディアとして接している時間は長いです。
本は、学校の図書館で借りた本、書店で買った新刊など、それなりの冊数を読んでいますが、最近はほとんど、斜め読みです。
教育関連本をはじめ、研究者が書いたような本にはなるべく触れるようにしています(ブログのネタ探しのためです…切実っ!)。
ですがそれだけだと、単なるオベンキョウ好きになってしまうおそれがあるので、おバカで楽しい本、売れている本、ビジネスマンが興味を持ちそうな本も読むように心がけています。
マンガはかなり読んでいます。売れている本、話題になっているものは読みます。
ゲームは、やる時間がありませんが、ドラクエくらいはするようにしています。
新聞は、学校の図書館で読んだり、キオスクで買ったりします。毎回、違う新聞です。スポーツ紙は読みません。もっとも、新聞の報道自体はほとんどwebで見ていますので、紙面で読むのは見出しやコラム、特集記事、シリーズもの、社説などが中心です。
電車の中吊りは、市場を知る上で最も参考になるメディアのひとつとして、かなり厳しくチェックしています。
その他の交通広告は、駅のものを中心にチェックしていますが、最近出かける街がわりと決まっているので、見ているものに偏りが出てきているかも知れません。
…と、自分はこんな感じで、各種のメディアに接触しています。
メディアの接触時間については、様々な機関が調査を行っておりますが、総じて日本ではテレビの接触時間が最も長く、日に1~3時間、もしくは3~5時間程度という方が多いようですね。
マイスターは、テレビはほぼゼロで、その分webが長いので、平均的日本人とはズレています。
(※最近では「テレビを観ながらwebをやる」という方がかなり増加しています)
このように、自分がメディアとどのくらい接しているかを知ってみる、というのは、情報リテラシー、メディアリテラシーに関する教育の初歩なのですが、
さて、ではいったい、こういうことを、いつ、誰が子供達に考えさせればいいんでしょう?
・情報教育を考える(1):「情報」って何?
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50153040.html
・情報教育を考える(2):「情報を疑う力」が、全国民に必要だ
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50152837.html
・情報教育を考える(3):『メディア・リテラシー - マスメディアを読み解く』
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50153569.html
これまで3日間にわたって、情報教育に関することを書いてきました。
情報に関して、これから求められてくる教育の一つが、「情報リテラシー教育、メディアリテラシー教育」である!
…ということで、情報リテラシーとは何か、どのような教育が求められているかをご紹介してまいりました。
今回は、
「じゃあ、誰が、いつ、どんな風に情報リテラシー教育を行うの?」
ということについて考えてみたいと思います。
現在までの取り組みと今後の展開について、各場面についての状況はどうでしょうか?
■保護者による、家庭での取り組み
テレビ番組を家族で観ながら、「この報道はおかしいよなぁ」とか、「偏っているよね」とか、何気ない会話の中で、話すことはあるでしょう。
これもひとつの、メディアリテラシーです。
「こんなレベルの低いテレビは観ちゃダメ!」なんて言って、チャンネルを替えてしまう保護者の方もいると思います。
そのとき、レベルが低いと考える理由を一言付け加えればそれは、ちょっとしたメディアリテラシー教育です。
ただ、体系だったカリキュラムに基づき、きちんと時間を取って様々なメディアに沿った教育するとなると、ご家庭でできることには限界もあるでしょう。
そもそも、保護者がいないところで子供がメディアに接する機会も、昔と比べると非常に多いです。
ケータイはその代表ですが、テレビだって各部屋にある時代です。
子供向けの雑誌だって、数え切れないくらいあります。
保護者がすべてをチェックするのは不可能です。
それに20~30年前と比べると、メディアとの接し方を子供に伝える保護者は減っているような気がします。
例えば
「2日間、テレビを一切付けない。その次の2日間は、インターネットを使用しない。その次の2日間は、新聞や雑誌、マンガ、本などの紙メディアを一切読まない」
なんてことを試しにご家庭でやってみたら、普段自分がメディアにどう依存しているかがわかりますから、メディアリテラシー教育のひとつとしていいと思うのですが、子供よりも、テレビ無しの生活に耐えられないのは保護者の方なんじゃないかという気がしないでもないです。
なおPCインターネットでは、教育上不適切なサイトを遮断する機能がありますよね。
これは教育的に、ある程度必要な処置ではありますが、メディアリテラシー教育とはまた違います。
不都合な情報を子供に出さない、ということが悪いわけではないのですが、いつか子供がそういう情報に接触してしまった時の対応方法にはなりませんよね。
(メディアリテラシーの考え方はむしろ逆で、情報に対して免疫力をつけることに近いのです)
というわけで、家庭でできることは多いのですが、限界はあります。
ただ、実際にテレビなどのメディアに接する場は家庭でしょうから、今後も家庭での取り組みが重要であることは確かです。
学校や行政、NPOなどから保護者向けに、メディアリテラシー教育に関する情報を出してあげるというのは、効果的なサポートだと思います。
■学校での取り組み
特に小中学校では、残念ながらまだ、全国どこの学校でもメディアリテラシー教育を受けられる、という状況ではありません。
以下、詳細に考えてみます。
○研究授業として、あるいは総合学習の一環として教える
研究授業として、あるいは総合学習の中で、メディアリテラシーに取り組んでいる学校は、ネットでいくつか見かけました。
ただその多くは、「ホームページを作りながら、情報発信について知る」というもので、主として発信側の教育です。
(インターネットを活用すると、研究授業として注目されやすいのかな?という気もしますが、どうなのでしょうか)
これはこれでとても大切なのですが、
<リテラシー = 読み書き能力>
ですから、メディアを「読む」力の部分も重要だとマイスターは思うわけです。
「メディアリテラシー → 情報発信の教育」
と思われているのだとしたら、個人的にはちょっと心配です。
国語教育でいえば、教科書の文章を読み解くことなしに、作文ばっかりやるようなものですからね。
情報発信についての取り組みの方が、なんだか主体的でイイ感じな印象はあるでしょうが、本当の意味でメディアを理解することにはならないのではないでしょうか。
特に、最も大切な、「マスメディアの読み方」について触れているところはまだまだ少なく、とても残念です。
ちなみに、総合学習では、「環境」「国際理解」「福祉・健康」などと並んで、「情報」が、ひとつの重要なテーマになっています。
加えて総合学習では、子供が主体的に調べ学習を行ったり、発表を行ったりすることを重視していますから、結果的に「調べたことをホームページで発信しよう」という試みが増えるのだと思います。
こうした取り組み自体は、評価されることだと思います。
マイスターとしては、こうした試みをよりレベルアップさせるためにも、前提となる基礎的な力の一つとしてやはりまずメディアを「読む」訓練をしておくことをオススメしたいですね。
○教科教育の中で教える
高校では、「情報科」という科目が新設されました。
マイスターは情報リテラシー、メディアリテラシー教育を行うプロとして、この「情報科」の教員免許を持った教員の皆様の活躍に期待しているのですが、実際にはどうも、難しそうです。
・教科「情報」を入試科目に 14大学が来年度入試で
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50096203.html
以前調べてみたのですが、高校の「情報科」は、小中学校以上に、コンピューターとインターネット寄りで、デジタル情報の扱いに偏っているように見受けられます。
また普通高校で教えられる「情報」の授業には<情報A>、<情報B>、<情報C>があるのですが、「情報機器の活用」をメインテーマにした情報Aを採択している高校が、全体の7割以上を占めると聞いています。
ほとんどの生徒が小中学校までに情報機器の扱いに習熟するような状況になれば、高校ではより進んだ試みを行えるようになるかも知れませんが、こうした現状では難しそうです。
しかし、既存の教科でも、メディアリテラシーを教える機会はありそうです。
昨日の記事でご紹介した『メディア・リテラシー―マスメディアを読み解く』では、メディアリテラシーを教える場として、国語、社会科(地理、歴史)、家庭科、科学とテクノロジー、美術、音楽、体育・保健衛生、数学といった教科を挙げています。
このように、その気になれば様々な教科と連携できそうですが、少なくとも日本では、こうした試みはほとんどされていないのではないでしょうか。
きっと実際には、それぞれの教科で教えるべきことが他に山ほどあり、それらを削減することが困難なのでしょう。
加えて、こうした教科ごとの教員がメディアリテラシー教育に関する知識や技術を持ち合わせていない、ということにも原因がありそうです。
特に社会科と国語は、メディアリテラシー教育に関する親和性が高いと思いますし、期待もされていると思うのです。
例えば歴史なら、
「この時代の指導者達は、どのようなねらいで、どのような人をターゲットにして情報を発信していたのか」
という視点で過去の史料を分析してみる、なんてのは、メディアリテラシー教育としても面白いはずです。
古代より、洋の東西を問わず、指導者達は情報を活用しています。
ナチスドイツの広報や、革命ロシアのアバンギャルド・デザインによるアピールはよく知られていますよね。
当時のこれらの国民のメディアリテラシーは低く、施政者達の方が情報の扱いに長けていたからこそ、メディアによって国全体があそこまで動いたのでしょう。
もっと古代にも、事例はたくさんあります。
古代ローマは地中海世界を制覇した時、ギリシャ神話の内容を巧みにローマ神話に組み込んで自分達の文化面での権威付けに利用しましたが、これだって一種のメディア活用です。コロッセオでの催しなども支配者によるメディアの活用ですから、明確な意図があり、それに沿った表現があったわけです。もし当時のローマ市民達が十分なメディアリテラシーを持ち合わせていたら、支配者達にうまくまるめこまれていることに気づいたかも知れません。
古代ローマの施政者達の気持ちになって、ローマのメディアコンテンツを作ってみる、なんてのは、きっとすっごく面白いですよ。
日本でも、戦争中の報道資料などは、メディアリテラシーの教材になるでしょう。
また過去の選挙ポスターや選挙公報を比較して、それぞれの候補者の情報がどのようなねらいで、どのようなターゲットに向けて作られているのかを考えるなんてのも、面白そうです。(ただし、選挙管理委員会が許可する範囲で!)
国語の授業ではもともと、小説などを読み込む時に「作者の意図や時代背景を考える」という形で、メディアリテラシーにつながる作業を行っています。
プロレタリア文学なんてのは、明らかに訴える意図を持って書かれているものが多いですから、
「当時の他のメディアの状況と比較して、文学が世論形成にどのような役割を果たしたか」
「実際に、この作品がどのような階層の人々に、どのくらいの影響を与えたか。それは何故か」
という視点に力を入れた場合、メディアリテラシー教育のひとつになると思います。
このように、メディアリテラシーを面白く教える方法はいっぱいありそうですが、現状では、教員の負担も大きいことでしょう。
では、どうするか。
ということを書こうと思ったら、もうページが長くなっていましたので、次回にします。
以上、マイスターでした。