情報教育を考える(1):「情報」って何?

こんにちは、マイスターです。

このブログ「俺の職場は大学キャンパス」って、「教育ブログ」と銘打ってはおりますが、実を言うと教育の手法やスキル、教育論など、教育内容に関する部分にはほとんど触れておりませんよね。

だって、教育内容について論じる人は、既にいっぱいいるんですもん。
それに、その部分は極端に言えば、「みんなそれぞれ」だと思うのです。

でもその周辺領域、つまり教育現場のガバナンスや教育支援、教育期間の広報、近代事業としての教育の在り方、なんてのを語る人は、まだまだ少ないように思うのです。
(この事実、改めて考えてみると、日本の教育事業の偏りを結構表している気がします)
というわけで、そんな周辺領域の部分に貢献できればと、こんなブログを毎日書かせていただいております。

…と、そんな心構えでいるわけなのですが、
マイスターにもささやかながら、教育内容についてちょっとだけ意見を書ける部分があるとしたら、それは情報教育、メディア教育に関する部分だと思います。

マイスターは、メディアや組織ガバナンスの修士学位を一応、持っているのであります!
それに、ささやかながらweb広報プロデューサーとしての経験もあるのであります!
(別に、威張るほどのことでもないのですが)

そして実を言うと、プロデューサーとして最も時間を割いていた仕事は、某大手企業による、総合学習支援サイトの企画&制作でした!

そんなわけで、教壇に立つプロの教員とは立ち位置が異なりますが、この部分に関しては、わずかでも何かしらお役に立てる気がするのです。

っていうか、何かお役に立ちたいよー。
書きたいよー。

というわけでひとつ、「情報」をどうやって教育していくか、ということについて、マイスターなりの考えを述べさせていただきたいと思います!

(教育工学の専門家の方などにとっては、いまさら…という内容がたぶん続きますが、ご勘弁ください)

って…過去の記事を読み返してみたら、結構書いてました!

・「子どもはみなブログを持て!」2005年06月18日
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/25591711.html
・「進まない学校IT」2005年08月03日
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50014072.html
・「教科『情報』を入試科目に 14大学が来年度入試で」2005年11月17日
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50096203.html
・「子供から受験生までを狙う、チェーンメール」2006年01月30日
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50142721.html

なーんだ、書いてたじゃん俺……。

以上、今日の記事終了!

…なんてわけにもいきませんよね

それに、結構古い記事(と言ってもわずか8ヶ月前)もありますので、ここらで、自分の考えを整理しておきたいところ。
ちょうどいいので、マイスターの考えの整理に、おつきあいください!

と、その前に。

みなさん、「情報教育」という言葉を聞いて、どんなイメージを思い浮かべますか?

パソコンの使用法?
インターネットでの調べもの?
ネチケット?

きっと、人によってイメージは色々ですよね。
でも、こんなご時世ですから、やっぱり最初に浮かぶのは、コンピュータで処理される「電子情報」についての教育ではないでしょうか。

じゃ、電子情報の扱い方について子供達に教えればいいのでしょうか?
ちょっと、違いますよね。

もうちょっと間口を広くとって…「情報」って言葉を考えてみましょう。
この「情報」って、どんなものでしょうか?

インターネットやコンピュータが普及するまでは、私達は「情報」を扱っていなかったのでしょうか? 
はい、違いますよね。

人類は昔から色々な形で、情報を扱ってきているわけです。

情報の歴史―象形文字から人工知能まで

これは、「情報の歴史」という名前の本です。
正確に言うと、年表です。
有史以前からの人間の営みを、すべて、「人類は情報をいかに扱い、いかに記録してきたか」という視点で再編成した年表です。

アルタミラの壁画や各種の宗教の聖典、口伝の神話といった古代人の情報メディアに始まり、
科学技術の発展と通信技術の進歩、
「王の目、王の耳」からナチスの広報戦略、
古今東西の文学からテレビ等マスメディアの歴史に至るまで、

とにかくあらゆる人類史上の出来事を、「情報」という視点で編成してあるのです。
はっきりいって、面白い方には面白いです!

(ご覧になった方はおわかりでしょうが、極めて独特な編集方針で作成されている年表です。紀伝体と編年体を掛け合わせたかのようなスタイルですね。
膨大な項目が掲載されているのですが、じっと見ていると、各ページから何かその時代のテーマのようなものが浮かび上がってきます)

マイスターは、この本をたまにパラパラめくっているのですが、そうして年表を眺めていると、情報というものの「性質」が、なんとなく掴めてきます。

ごくおおざっぱにまとめるならば、↓このような感じでしょうか。

○情報というものは必ず、特定の意図を持った誰かによって、特定の目的に沿って編集されている。
でもそのことを、私達のような一般生活者は普段あまり意識していない。

○世の中のあらゆるものごとは、情報を媒介・伝達するためのメディアになりうる。
そのため、私達は知らず知らずの間、無意識のうちにメディアを通じて誰かの意図した情報を取り込み、自分のものにしている。

○いつの時代においても、情報を配信する者は、情報を受け取る者の思想や行動を支配する立場にあった。

○<古代 → 中世 → 近代 → 現代>
と時代が進む間に何度か、一般生活者である私達に流される情報が爆発的に増加した時期がある。
今現在もまさに何度目かの、爆発的増加の時期のひとつである。

いかがでしょうか。
古代から現代に至るまで、情報にはこういう性質があるんじゃないかと、マイスターは思います。

だとすれば、この情報爆発の時代(世間的には「高度情報化社会」や「高度情報社会」なんて言いますが)に、わたしたちが最初に身につけるべき基礎的素養とは、

「あらゆる情報を、批判的に読みとく力」

なのではないでしょうか。

と、今日はここまで。続きは明日にします。

以上、マイスターでした。

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(関連記事)
・情報教育を考える(2):「情報を疑う力」が、全国民に必要だ
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50152837.html