「負け」に気づかない、日本の大学幹部

マイスターです。

どこの大学でも、入試の出願状況が出ている頃かと思います。

「昨年度より応募者が増えた!」
「例年より厳しい…」

などなど、各校で反応が分かれているのではないかなと思います。
すべての学校が順調に学生を集める、なんてことは、どう転んでも起きない時代ですからね。

ところで、受験生が仮に減っていたとして、その後は、みなさん、どうされているのでしょうか。

ちゃんとその現実を直視して、生き残りに備えてビジョンを描き、厳しくても打つべき施策を打ち、自らウミと血を流しているでしょうか。

【教育関連ニュース】——————————————–

■「ある野球チームの話」(アメリカの大学事情)
http://ameblo.jp/yanatake/entry-10008470172.html
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おなじみ、ブログ「アメリカの大学事情」さんの記事です。

こちらのブログ、ミネソタのコミュニティ・カレッジでInstitutional Researcherとして働かれた後、現在はState Higher Education Executive Officersのスタッフとして活躍されているという日本人の方が運営されています。

アメリカの大学教育政策に関する様々な情報を日本語で読める、非常に貴重なブログです。
日本の大学についてもよくご意見を書かれており、なるほどなと思っていつも拝読しています。

(マイスターもよく、日米の比較という視点で文章を書きますが、さすが、実際に関わっておられる方のお話には説得力があります!)

今回、冒頭でご紹介した今回のエントリーは、いわゆる「たとえ話」ですが、言わんとされているところが、とってもわかりやすいです。

エントリーの最後で、

「このチームの話、日本の大学に対して僕が持っているイメージです。」

と書かれていますが、実際に日本の大学でおよそ1年働いてみたマイスターが持っているイメージも、ぴったり同じです。

ところで、

「このチームは、長い間低迷し続けてしまっています。あまりにもこの低迷時代が続いてしまっているため、選手たちも負けになれてしまっています。」

蛇足かも知れませんが、上記の部分について、マイスターなりにもう一言、付け加えさせていただきたいなと思います。

マイスターが思うに、そもそもこの「負け」の定義を、これまでの日本の大学はずっと、(故意に)あいまいにしてきたのではないでしょうか。

例えば、↓こんな大学幹部の声を考えてみてください。

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受験生が減り、競争率が下がってきた。少子化のせいである。
でも、本学にはまだ学生が入ってきている。
いくつかの学科は確かに「全入」に近くなってきたが、大学組織がつぶれることは絶対にないのだから、これまでと同じスタイルを崩さず、教育と研究に邁進していればよい。社会は、ちゃんと評価をしてくれているんだ(と思う)。

確かに、入試偏差値も、かつてに比べて下がってきた。
ライバル校は、厳しい時代でも確実に社会のニーズを模索し、世間からの評価を上げている。それに対し、我が校は残念ながらやや低調である。
しかし、本学には長く産業界に貢献してきた伝統があるのだから、最終的にはもちこたえるに違いない。
否、つぶれるはずがない。本学がつぶれるなんて、社会にとっての損失である。
他校が実施しているような改革については、まぁ、そのうち本学も追って実施していく(つもり)。だから、きっと大丈夫だろう。

本学は長きにわたって、堅実に卒業生を送り出してきた。
だから、教育力は、いつか評価されるはずだ。

また、メディアに取り上げられるような研究者も数名だが、いる。
研究力では、ライバル校に負けていないはずだ。

なぜか世間がこうしたことを理解せず、入試の人気という面ではぐんぐんライバルに離されていっているが、こつこつと研究に邁進していれば、放っておいても自然に高校生からの評価が戻っていくはずだ。

本学の教育レベル、研究レベルは、ライバル校のレベルと比較したら、決して低くはないんだ。
業界の関係者からは、実際にそういう声をいただいているんだ。

だから、本学はこのまま、大きな変革をせずとも、いいんだ。

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…とまぁ、こんな大学幹部が、いたとしましょう。

マイスターから見れば、どう考えてもこの大学は「負け続けて」います。
かつては勝っていた時代があったのかも知れませんが、少なくとも今は負けてます。
(そう思いませんか?)

でも、この幹部からしたら、負けているなんて認識はないのだと思います。
正確には、負けていることを認めたくないあまり、問題を直視していないのだと思います。

負けではなく、現状はあくまで「ちょっとした一時的な不調」であり、
またその原因は少子化という社会環境の変化にあるのであって、自分達は悪くない。
そんな意識がかいま見えます。

ひどい話ですが、でもマイスターが思うに、実際こんな大学幹部なんて、日本全国にいくらでもいると思います。
実際のスポーツと違って、はっきりとした「負け」の定義がないのをいいことに、「自分達は負けていない」と自ら言い聞かせて安心している人たちです。

「負け」を認識するためには、
理想とする「勝ち」の状態が、組織全体のビジョンやミッションとしてしっかり共有していなくてはなりません。

それができていないから、「負け」もわからない。
そういう大学経営者や大学幹部達が、実は多いんじゃないかと、マイスターはこの1年でなんとなく考えるようになってきました。

日本の大学幹部も、お馬鹿さんではないのですから、心の底から「負けている!もうだめだ!」と感じていれば、もっと有効な手だてを打つと思うのです。
実は、心の底では

「なーに、こんなの全然、負けじゃないさ」

と思っている人が大勢いるから、問題がじわじわじわじわ、取り返しのつかないところまで浸透してしまうのではないかと思うのです。

「アメリカの大学事情」さんが書かれている、日本の大学についての「負け体質」という言葉をマイスターなりに補完してみると、

「負けを、負けと感じなくなった状態。負けを、負けと認められなくなった状態」

ということなのかなと思います。
(うん、これは、確かに、負け体質ですね)

そして、こうした「俺たちは負けてないんじゃないか」という意識が

-当然監督もこのチームにはいますが、この監督は、やはり昔からこのチームに在籍している人のため、やはり負け体質が監督にも染み付いてしまっています。またこの監督は選手全てとコミュニケーションは取りません。監督が大体話すのは、あってもベテランの選手たちで、チームの方針も監督とその取り巻きだけで決まってしまうことがほとんどです。

またこの監督、ビジョンというものがなく、毎年優勝を目標には掲げるけども、監督自身がそんなこと出来るとは思っていません。当然、選手たちも、口だけのスローガン、と割り切っています。毎年同じようなことが繰り返されてます。-(「アメリカの大学事情」より)

…なーんて感じで組織内に伝播した結果、より一層、組織が病に冒されることになっているんじゃないかと思うのです。

「アメリカの大学事情」さんは、チームを強くするための施策として、
「監督、コーチ陣を一新して、力のある首脳陣を集める」
ということの重要性を書いておられます。

マイスターもこれに賛成ですが、そのとき新監督が最初にやる仕事は、

「自分達は負けているんだということを、チーム全員に認識させる」

ことになるのではないでしょうか。
実際の野球チームなら、こんなのはわかりきったことでしょうから不要な作業でしょう。
でも、ここから始めないといけないのが、日本の大学の現状だと思うのです。

以上、マイスターでした。