プロデューサーというお仕事(1):プロデューサーは、常に成果の達成を優先する

マイスターです。こんにちは。

「俺の職場は大学キャンパス」は、元プロデューサーである大学スタッフが書いているブログです!

と、マイスターは記事の中でも、ブログタイトルの下の紹介文章でも、しつこいくらいに書いています。
どんな経歴の人間が書いている文章か、というのは、読む方にとって重要な判断基準になると、マイスターは考えているからです。

「公立小学校の教師が、教育について書いているブログ」

「文部科学省の職員が、教育について書いているブログ」

「5人の子供を抱える父子家庭のパパが、教育について書いているブログ」

「大学を出るまでフィンランドで育った帰国子女が、教育について書いているブログ」

「大正生まれのおじいちゃんが、教育について書いているブログ」

「堀○・元社長が、教育について書いているブログ」(獄中日記?)

どうでしょうか。
仮に同じ内容が書かれていたとしても、読む方としては、文章にあたるときの認識が違ってきますよね。

ブログは、書籍以上に、その時々で考えたこと、感じたことが表現されるメディアだとマイスターは考えておりますので、「どんな人が書いているか」というのは一層、気にされるべきだと考えています。
単なる「読んで楽しむおもしろ日記」ならまだいいのですが、マイスターのブログのように、まがりなりにも何らかのテーマ性を持たせようとしているものなら、なおさらでしょう。

このブログは、教育に関する情報、教育業界の皆様に役立ちそうな情報をご紹介するブログなのですが、教育というのは、どんな人でも、自分なりの考えや意見を述べられる分野です。

というわけでマイスターは、
「元プロデューサーが運営している、教育に関するブログです」
と、何度も繰り返し書いているわけです。

でも、最近、

「そもそも、プロデューサーっていう職種がどんなものか、知られていないんじゃないか?」

という重大なことに、(ようやく)気づきました。

これをうまくお伝えできれば、マイスターのブログをより面白い視点でお楽しみいただけるんじゃないかと思います。
そこで! 今日は、「プロデューサーの仕事って何?」ということをご紹介したいと思います。

さて、みなさんは、「プロデューサー」と聞いて、どのような仕事を思い浮かべるのでしょうか?

一番イメージが強いのは、テレビ局のプロデューサーと、音楽のプロデューサーだと思います。
一般に、単に「プロデューサー」とだけ言った時は、たいていこのどちらかを指すようですね。
「プロデュース」という行為が一般生活者の耳にしっくりくるのも、この分野だと思います。

確かにプロデューサーというのは元々、何らかのコンテンツを制作する中で生まれた職業であるようです。

テレビ番組、
ラジオ番組、
音楽、
演劇、
映画、
アニメ、
ゲーム、
webサイト、などを制作する業界で、プロデューサーがよく登場しますね。

■「プロデューサー・カリキュラム」(C&R総研)
http://www.cri.co.jp/cri/producer.html
■「コンテンツ産業論I:プロデューサーとは何か?-音楽製作における役割の変容について-」(立命館大学産業社会学部)
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ss/2-gakubu/top-gakubu/jasrac/0417.html
■「質問:『プロデューサー』と『ディレクター』の違いについて」(教えて!goo)
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1092094
■「プロデューサーとは」(Protama)
http://www.protama.net/protama/producer.html

などなど、ちょっと調べただけで、コンテンツ産業の中でのプロデューサー像がおぼろげに浮かんでくると思います。

映画の場合、

「監督(ディレクター)は、作品のクオリティに関する責任者。
 プロデューサーは、作品全体の企画や資金計画、制作スケジュール、スタッフの人選などを掌握する責任者」

といった説明がなされることが多いようですね。
また、テレビの場合、

  プロデューサー>ディレクター>AD(アシスタント・ディレクター)

みたいなイメージで語られることが多いようです。
(皆さんのイメージの中のプロデューサーも、これに近いのでは?)

実をいうと、業界によってプロデューサーの役割は若干違っています。
プロデューサーとしての「核」の部分は共通でも、業界によってその役割や位置づけが違ったりするのは、当たり前かも知れませんね。
音楽のプロデューサーと、ゲームのプロデューサーでは、行う業務がまるで違って来るというのは、なんとなくご想像いただけるかと思います。

また、国によっても、若干差異があるようです。
例えば日本の演劇プロデューサーと、アメリカのそれとでは、担う業務も責任の範囲でも、全然違うと聞きます。

マスターは日本のweb業界出身ですので、日本におけるwebコンテンツのプロデューサーについてはかなり詳細に説明できますが、ここでは、あまりそういう細かいことをご紹介しても意味がありません。

ズバリ、どの業界にも通じる、プロデューサーとしての「核」は何か!?

マイスターの考えですが、プロデューサーの立脚点は、

○何かの価値を生み出し、成果を上げようとする人間である。
○生み出そうとする作品やサービスに関する全責任、スタートからゴールまであらゆる決定の最終責任を負う人間である。

というところにあるのかなと思います。

もう少し、わかりやすくお話ししましょう。

例えば、ある映画が制作され、公開されたとします。
ところが、作品の評判が悪く、思ったほどの興行収入が上げられなかった。
この責任は、誰が取りますか?
失敗したのは、誰のせいでしょう?

それは…理由の如何を問わず、最終的にはプロデューサーの責任です。

もし作品の出来自体が悪かったのなら監督が悪いのですが、その監督を任命したのはプロデューサーです。
思ったより予算が確保できず、クオリティが下がったのなら、それはプロデューサーがコストコントロールを怠ったから。
作品の宣伝が悪かったのなら、宣伝計画をしっかり管理していなかったのだから、プロデューサーには大きな罪があります。
そもそも、そういう映画の計画を立てたのはプロデューサーです。

わかりますでしょうか?
物を生み出す時には、必ず、様々な問題が起きますよね。
また、特別な問題が起きなくても、結果的にクオリティの低い物ができてしまうことはありますよね。

そうしたことが起きないよう、生産行為のすべての管理・計画を担当しているのが、プロデューサーなのです。

「成果をあげること」そのものこそが、プロデューサーの職務なのです。
ですから、成果が上がらなければ、それがどんな理由であろうと、プロデューサーの責任なのです。

「produce」とは、物を生み出すという意味の言葉ですから、プロデューサーは「生み出す人」ですよね。文字通りです。
ですのでプロデューサーは、必然的に、成果主義です。
責任を、誰にも転嫁できないのですから

「苦労してるんだからわかってくれ!」とか、
「お金がないからできないんだよ!」とか、
「今回は運が悪かった」とかいう言い訳は、言えないのです。

こうしたところから、プロデューサーの仕事の特徴が出てきます。

まず、

「どうやったら、クオリティの高い物や、これまでなかった新しい価値が生み出せるか」と、
「どうやったら、スポンサーを満足させられる利益が上げられるか」

といったところから、プロデューサーの考えはスタートします。
で、

「じゃあ、その成果を上げるために、どういうスタッフが必要だろうか」
「成果を上げるために、どういう障壁があるのか。それを、どうやって取り除くか」

と、思考をブレイクダウンさせていくのです。

つまり、ゴール地点から発想が始まるのですね。

「今の、私の周囲の環境で、何ができるかな」

といった、現場からの発想はしません。
求める成果に合わせて、現場の環境の方を変えてしまう、くらいのことをやってのけます。

だって、世の中、既に持っているリソースでできることなんて、たかが知れています。求められている成果と、手持ちのリソースでできることに齟齬があるというのが、普通です。
そのとき、常に「求められている成果」の方を優先させるのが、プロデューサーだとお考えください。

…と、長くなりそうなので、今日はこの辺にします。

この話、明日も続きます。
どうぞお楽しみに。

以上、マイスターでした。