市場としての大学生に、どのくらいの可能性が期待できるか?

マイスターです。

前職では、企画という仕事をしていました。
大学院で学んだマーケティング用語が、仕事の中でばりばりと飛び交う世界でした。
「F1層」「M1層」とか。

今思えば、そういう仕事に携わる担当者というのはみな、研究に基づいたマーケティング理論と、それぞれが個人として持つ直感・生活感の両方をフル活用する、バランスの良い人たちが多かった気がします。
そんな世界は自分にとって居心地が良かったです。

直感だけに頼って理論を知らないと、説得力が生まれない。
しかし本人の強い実感や信念に基づかない、理論だけを根拠にした提案では、ほとんど成功しない。

そんなことを、教わった気がします。

【教育関連ニュース】——————————————–

■大学生向け事業のベンチャー 躍進
http://job.yomiuri.co.jp/news/special/ne_sp_05121301.cfm
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ベンチャー企業が、大学生をターゲットにしたビジネスを起こしているようです。

「SNSのサイトでは、利用者のうち20%以上を大学生が占める。多くの学生がこうしたネットコミュニティーを使いこなしている点もマーケットの魅力」

「学生の動きは非常に速い。学生と常に近い立場にいることで、学生と同じスピードで動くことができる」

「学生は好奇心が旺盛(おうせい)で、人とのつながりを望んでいるという点は今も昔も同じ。実際に対面した時に感じる楽しさやワクワク感をネット上でどう展開できるかが、今後の学生向けマーケティングのカギになる」(以上、上記記事より)

などなど、市場として、広告媒体として、大学生が注目されているようです。

話はちょっとかわりますが、
バブルの頃に、やたら「女子高生」がもてはやされた時期がありました。

情報感度が高く、流行の最前線にいて、マスな消費者でもあった女子高生。
企業はとにかく、彼女たちに気に入られる商品を開発しようと、必死でした。

渋谷あたりをたむろしている女子高生を捕まえて、新製品に対する意見を聞いていた、なんて企業は少なくないはずです。

女子高生に新製品のサンプルを提供し、学校で友達に配ってもらうように頼む、なんてことも、化粧品業界を中心に流行りました。
彼女たちの持つ口コミの力や、ネットワークの広さに期待したのです。

今はどうでしょうか。
「女子高生」が、流行の先端を意味する時代は、既に終わったと思います。

例えば、女子高生1人に製品サンプルを渡して、友人に配ってくれるように頼んだとしましょう。何人の友達に配ってくれると思いますか?

ある企業の方から聞いた話だと、今は「せいぜい3、4人」だそうです。
身近な知り合いに教えて、終わりです。それ以上、拡がりません。

その方は、女子高生に配るくらいなら、主婦に配るとおっしゃっていました。
ちょっと交友関係の広い主婦に配ると、あっという間に40人くらいに広まるそうです。

そもそも、ご存じの通り、携帯電話の通話料金がかかるために、高校生の購買力自体も落ちています。
高校生相手のビジネスからは、メリットが失われてきたのです。

(テレビ局は相変わらず若者に受ける番組を企画し続けていますが、一部の業界を除いた大半のスポンサー企業は、本当は大人向け・高齢者向けの番組にCMを打ちたいのです)

さて、では、現代の大学生は、どうでしょう?

アルバイトがおおっぴらにできる分、使える金額は高校生より高いのでしょうが、携帯電話などにお金を取られるという点は変わりません。

<大学生=流行の先端>

という図式からも、いまひとつ説得力が感じられません。

そもそも、大学生を一律に、「流行に敏感な人達」と定義することに無理がありそうです。

下流社会 新たな階層集団の出現

この『下流社会』、ご存じの通り、かなり売れている本です。
「下流社会」という言葉は様々なところで引用され、流行語にもなりそうな勢いですね。
著者はパルコやマーケティング雑誌『アクロス』編集部で、日本の消費動向に常に関わってきた三浦展氏です。

この本が定義する「下流」というのは、
上昇志向に乏しく、仕事に対する意欲に欠け、
流行を追うことにこだわらず、
かつ、何かを実行、実現する能力が低い…といった人達のこと。

これまで日本を支えてきた「中間層」「中流」の人の多くが今、下流化してきている、というのが、この本の主張の一つです。
(流行に敏感で購買力が高く、向上心が強い「上流」な人達も若干増えており、「下流」と「上流」がハッキリと分かれてきた、とも)

三浦氏は、別に上流が偉くて、下流が偉くないとは言っていません。
ただ、そういう違いが、従来に比べてハッキリと現れ始めていると、指摘しているだけです。
(それを敢えて「上流」「下流」という言い方で表現するあたり、さすがマーケティングのプロ。うまいですよね)

この本の主張通り、一部の「上流」、多くの「下流」という分け方が仮に、世の中の実態をうまく表せているとして、
では、その分岐点は、いつ頃からなのでしょうか。

本では、親の所得レベルや生活水準が子供の生活や文化レベルに影響を与えるので、上流・下流は子供の頃からある程度傾向づけられている、なんてデータも紹介されてます。

少なくとも、大学生の頃には、

「消費や仕事の上であまり多くを望まず、身の丈にあった生活を志向する、下流候補生」
と、
「仕事ではひたすらに上を目指し、流行を追うことにもこだわる上流候補生」

という三浦氏が言うような志向の違いが、徐々に見られ始めているんじゃないかと、マイスターは感じます。

根拠はありませんが、実感として「大学生の頃には、もう、あんまり流行を追うことにこだわらない学生さんが、けっこう増えてきているんじゃないかなぁ」、と思うのです。

就職活動をする頃には、

○趣味で使える時間を重視し、あくせくせず「自分らしく」働ける会社を選ぶ人、
○ベンチャー志向で、いずれは独立しようと考える人、
○卒業後、とりあえずフリーターや派遣社員になる人、

…といった志向が、割ともう、個別に出てきてますもんね。

三浦氏の主張と合わせて想像するに、大学生の過半数は、
消費においては、それほど世間の流行にこだわらず、
むしろ自分が持っている趣味や生活ペースを大切にする、
そんな人達なんじゃないかと思えてきます。

もちろん現在でも、従来通り元気な学生が集まる大学はあるでしょう。
でも少なくとも、「大学生」というマスをひとくくりにして、

「流行に敏感」
「購買意欲が旺盛
「友人の交流関係が広い、ネットワークが活発」
「アクティブな生活」

なんて言いきるのには、もう、無理があるんじゃないかと思うのです。
若者が持つ好奇心は今でも健在でしょうが、その好奇心は以前と比べると、人それぞれ、バラバラの方向に向いているような気がします。
若者が個性化したということかもしれませんが、若者達の動向を明確に方向付けたり、マーケティングに活かしたりするのは、難しくなってきていると思います。

さて、ここで話は、冒頭の記事に戻ります。

大学生向けの広告・マーケティングビジネスというのは、きっと業界の誰もが一度は思いつくモデルだと思います。
「若者=消費社会の中心」というイメージがあるからです。
でも実際のところ、それで大成功したという事例は、実は思ったほど多くないのです。

SNSやブログで情報発信をする学生が多くなっているのも確かなのですが、そこにどれだけのビジネス可能性があるかは、まだまだ未知数です。
ブログを書いたり読んだりしている学生=消費意欲旺盛な若者、というわけでもなさそうですし。(むしろ、お金がなくあまり外出しない「下流」な人ほど、趣味としてパソコンやインターネットに時間を費やしているという報告すら、聞くくらいです)

直接、学生さんの相手をしている大学教職員のみなさまは、どう思われますか。

勤務先の学生達は、普段、授業が終わった後、毎日のように盛り場に立ち寄ったり、流行の最先端で買い物を楽しんでいると思いますか?
新しいものなら何にでもアクティブに反応し、その情報を仲間達で活発に交換し、流行を作り出していると思いますか?

大学の立地などにもよるでしょうが、マイスターはどっちかというと、

今の学生は、もともと自分が興味のある分野のものにしか、アンテナを伸ばさなくなっているんじゃないか、

むしろ、行動は昔より閉鎖的になっているんじゃないか、

SNSやブログという、関心分野ごとに細分化されたメディアは今のところ、そうした閉鎖的な消費志向を助長する方向に機能しているんじゃないか、

なんて感じています。

そんなわけで、大学生相手にマーケティングのビジネスを立ち上げるのは、難しいんじゃないかなぁと、個人的には思うわけです。

しかし、冒頭のベンチャー企業の今後も、気になります。

マイスターは市場としての学生の可能性について、ちょっと否定的な見方をしましたが、もしかしたら、とんでもなく革新的なビジネスモデルを、こうしたベンチャーが生み出すかも知れませんしね。

今後も要チェック! と思った、マイスターでした。