沖縄国際大学 ヘリ墜落事故の現場

マイスターです。

先日沖縄に行ってきたことは、既に記事で申し上げました。

その日程の中で、最も見たかったのは、沖縄国際大学です。

そう、キャンパス内に米軍ヘリが墜落した大学です。
2004年8月13日のことでした。

■沖縄国際大学
http://www.okiu.ac.jp

事件後の経緯は、↓これらのページにまとめられています。

■「米軍ヘリコプター墜落事件に関する情報」(沖縄国際大学 米軍ヘリ墜落事件対策本部)
http://www.okiu.ac.jp/urgent.html

■「沖縄国際大学構内への米軍ヘリ墜落事故について」(宜野湾市)
http://www.city.ginowan.okinawa.jp/home.nsf/10721ebeb31f439e49
2568f9002e676c/1d608ac4bbbcdcf649256eef002e62b5?OpenDocument

これらのページに紹介されているような写真は、事故当時、新聞報道等でご覧になったと思います。

全国的にテレビや新聞で報道されましたので、マイスターもすぐに事故のことを知りました。
事故が起きた当時、マイスターはまだ大学職員ではありませんでしたが、「大学キャンパス内に突然、軍のヘリが落ちて来る」という事態にただただ衝撃を受けたのを覚えています。

あれだけの事故で犠牲者が一人も出なかったというのは、まさに偶然の奇跡だったというほかありません。
(その日たまたま出張に行っていたおかげで助かった職員の方もいたのです)

今回、沖縄に行けることになったとき、この沖縄国際大学の事故の記憶が最初に浮かびました。

米軍基地がすぐ近くという話を聞いていましたが、どのくらい近いのか?
事故現場は今、どうなっているのか?

ぜひ自分の目で、事故の現場を見てみたいと思ったのです。

というわけで、以下、マイスターが撮影した写真をいくつかご紹介します。

沖国大:事故マップ

(←クリックで拡大画像が出ます)

↑上記は、沖縄国際大学のマップです。
(「このあたりが事故現場」という文字はマイスターが写真を加工して入れました)

現場は、道路のすぐ側でもあったわけです。
なお、米軍基地はこのマップで言う、上側の方に存在しています。

沖国大:墜落現場

(←クリックで拡大画像が出ます)

↑こちらが事故があった現場です。

何もない?

そう、現時点では、へリがぶつかった建物はすべて撤去されています。
空き地しか残っておりません。

元々、ここには会計課などの事務部門が入った「本館(1号館)」がありました。
しかし、ヘリが激突したことで激しく損傷、取り壊すことになったのです。

事故当時の様子は、↓こちらでわかります。
■「米軍ヘリコプター墜落事件 現場写真」(沖縄国際大学)
http://okiuwebnet.com/media/u-pic.html
■「事故現場室内画像」(沖縄国際大学)
http://okiuwebnet.com/media/u-pic2.html

なお、マイスターが撮った写真だと地面が妙に緑色ですが、これは芝生が生えているから、だけではないです。
理由はわかりませんが、緑色の塗料のようなものが撒かれているようです。

沖国大:焼けこげた木

(←クリックで拡大画像が出ます)

↑これは、現場に立っていた木です。
焼けこげてしまって、先がありませんが、これは事故の時に焼けたそうです。

沖国大:木の根元

(←クリックで拡大画像が出ます)

↑現場に立っている木の根元。
緑色の何かが、吹き付けられたらしいということがわかりますね。

現地で聞いた話では、これは米軍が調査の過程で吹き付けたもの…らしいとか。
何か消毒などの意味があるのか、それとも事故の痕跡をなるべく目立たなくするためのカラースプレーなのか、マイスターにはわかりませんでした。

沖国大:壁

(←クリックで拡大画像が出ます)

↑現場のすぐ横、ビニールをかけられ保管されているのは、事故で損傷し、取り壊すことになった建物の外壁です。
(どうやら、この面のようです)

建物は取り壊しましたが、沖縄国際大学さんは、この壁面部分は何らかの形で保存し残すことを考えておられるようです。

現場の写真は以上です。

実はマイスター、この現場を見た後、沖縄国際大学の職員の方にキャンパス内を案内していただく機会を得られました。
(ご案内してくださったみなさま、ありがとうございました!)

事故現場のすぐ横に新しい立派な図書館があり、そちらもご案内していただいたのですが、その館内の裏手スペースに、取り壊した旧本館にあった資料棚や備品などが山積みされていました。
本館取り壊し後、ずっと、置き場所がないのだそうです。

米軍からの補償内容は、まだ最後までまとまっていません。

教職員の努力もあって、すっかり教育研究機能は以前の状態を取り戻した沖縄国際大学ですが、大学はまだ、様々な形で戦っているのでしょう。

今回の事故の補償はいつか終わるかも知れませんが、それですべてが解決するわけではないのでしょう。
最終的には問題の根本である「基地」という存在をどうにかしないといけません。

沖縄国際大学では、事故後、

「イラク派遣 在沖米海兵隊の普天間帰還を断じて拒否する(声明)」
「米海兵隊部隊の普天間基地への帰還中止を要請する (要請)」
「米海兵隊部隊の普天間基地への帰還中止を強く求める(声明) 」
「普天間基地使用の軍用機の飛行停止を要望する」

など、様々な公式声明を発表しています。
(こうした声明は、沖国大のみならず、県内の他の大学も出しておられます)

このようにはっきりと大学の姿勢を打ち出すことは、非常に重要だと思います。
果たしてこれが日米の外交の中でどのくらいの効果を発揮するかマイスターにはわかりませんが、まず主張することが大事、これは確かです。

これまで、シンポジウムなども開催されてきたようです。
学問の専門家が集まる組織だからこその、論理の戦いですね。

沖国大:キャンパスから見える基地

(←クリックで拡大画像が出ます)

最後に1枚、写真をご紹介します。
これは沖縄国際大学の5号館校舎から北側を撮影した写真なのですが、道路を挟んですぐ米軍の普天間基地です。
マイスターが見ている間にも、軍用機が一機、着陸していました。

安全保障上の問題など、様々な背景があるのは承知ですが、
いち大学人としてのマイスターは、すべての学校で、安全な学習環境が保障される状態を願います。

騒音などの問題もそうですが、こと生命の安全を脅かすような行為が、学校のまわりで行われている状態は望ましいものではありません。
アメリカ本土では、このような危険な基地の計画・運用は決して行われないと聞きますが、そうした想像力を、米軍と日本政府には発揮していただきたいところです。

以上、マイスターでした。