「日本型教育」めぐり論争? 米紙コラムに批判の投書も

アメリカの公立学校教育について、若干かじったことがある日本人のマイスターです。

マイスターは教育学の専門家ではありませんし、教壇に立つ現職の教員でもないので、制度上比較できることくらいしかわかりませんが、それでも彼の国とわが国の違いは、興味深いものがあります。

そんなマイスター、面白い記事を見つけました。

【教育関連ニュース】——————————————–

■「『日本型教育』めぐり論争 米紙コラムに批判の投書も」(共同通信 livedoor news掲載)
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1508838/detail?rd
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共同通信の報道です。
文字数は多くないのですが、

-米紙ニューヨーク・タイムズが「よりよい学校づくりのため日本に学ぼう」と呼び掛けるコラムを掲載したのに対し、日本在住の外国人教師から批判の投書が寄せられるなど読者の大きな反響を呼び、「日本型教育」をめぐる論争となっている。-(上記記事より)

と、実に気になる内容が含まれています。

いったい、どんな論争が、どのくらいの規模で勃発したのか?
わが国の教育システムについて、どういった賛辞と、批判が寄せられているのか?

これは、原文を見てみなければなりませんね~。

というわけで、↓これが論争の元になった記事です。

■「Why the United States Should Look to Japan for Better Schools」(By BRENT STAPLES,New York Times)
http://www.nytimes.com/2005/11/21/opinion/21mon4.html

(※New York Timesオンライン版の記事を読むには、無料のアカウントを作成する必要があります)

記事タイトルは、
「アメリカが、よりよい学校作りのために、日本に目を向けなければならない理由」
とでも訳せましょうか。

内容は、共同通信の記事にもありますが、ざっとご紹介すると、以下のような感じです。

○アメリカは、数学や科学、読み書き能力の向上策を海外から学ばないでいると、このままでは二流の経済大国になってしまう。

○アメリカは、教員の訓練方法について取組みを行うべきだ。

○ある研究者は、教員同士が互いに協力し合って集中的・徹底的に自分達の教育手法を改善させるという、日本の教員開発戦略について関心を寄せている。
「レッスンスタディ」として知られているそのプロセスでは、教員同士は時にはビデオを用い、時には集会を行って、互いの授業を共有し、磨きあう。
さらにこうしたシステムは、教室内での仕事についての様々な知識を、公にアクセス可能なものとして構築する役割も果たしている。
それらは新米教員をサポートするために機能している。

○こうしたレッスンスタディグループは、生徒の理解度を高め改善させるための手法をさらに磨き上げることを重視している。
取り組みを通じ、レッスンスタディグループは、効果のある教育のための成功戦略を一歩ずつ着実に設計していくのである。

○それとは対照的に、アメリカではしばしば、着任したその日から新米教師も一人前として扱われる。
彼らは自分のキャリアにおいて、同僚が行っている良い取り組みを見る機会がほとんど与えられない。

○アメリカでは、指導能力は自然と身につくものだという意識も見られる。

○アメリカでは各州ごと、地域ごとに教育のカリキュラムが様々である。
それに対し、数学や科学の成績でアメリカの上を行く国々では、生徒にいつ、何を教えるべきかを国家レベルで決定している。
教育の質のコントロールについて莫大な時間を費やしている中央の教育省が、学校を監視しているのである。

○アメリカでは、50の異なる州に、50の異なる仕組みが存在している。
さらに州内では、教育の質は、生徒が住んでいる地域に依存している。

○アメリカでは、教育内容の基準をなるべく低く抑え、試験も簡単にするような動きがある。

○アメリカの教育基盤は、19世紀に設計された時代遅れのものである。

○アメリカは傲慢さを捨て、海外の成功モデルから学ぶべきだ。

要点は以上です。

いちおう前提条件として書いておきますと、
アメリカは、大学レベルの教育競争力は文句なしに世界トップだと思いますが、
初等中等教育では、そんなに成果が振るわないのです。

対して日本の中高生は、学力が落ちてきたと言われていても、
いまだに数学などでは世界トップクラス(らしい)です。

そんな状況の中、海外の優れた取り組みに学ばなければ!という記者の姿勢はとてもすばらしいのですが、なんだかわが国の教育現場が過度に持ち上げられているような気はしなくもありません。

「アメリカでは、指導能力は自然と身につくものだという意識も見られる。」
「アメリカではしばしば、着任したその日から新米教師も一人前として扱われる。」
「彼らは自分のキャリアにおいて、同僚が行っている良い取り組みを見る機会がほとんど与えられない。」

って、日本も割とそんな感じですよぉぉ~~ぃ。

この記者が参照された、研究者の本というのが気になりますね。
いったいどこの事例を見て書かれた本なんでしょうか…。
(共同通信の記事が、あまりこの辺の記述に突っ込まなかった理由がちょっとわかる)

ぶっちゃけ、相当誤解されているような気がします。

しかし妙なもんですね。
日本では、「教育は国家が統制するのではなく、地方に任せるべきだ」という空気がありますよね。
お互いに、隣の芝生が青く見えているのかもしれません。興味深いです。

さて、このコラムに対して読者から寄せられた意見というのが、以下に掲載されています。

■「Are Japan’s Schools Really Better? (7 Letters)」(New York Times)
http://www.nytimes.com/2005/11/25/opinion/l25japan.html

「本当に、日本の教育のほうがいいの?」というページタイトルがつけられてます。
論争というから、相当な投書が来ているのかと思いましたが、ネットを見る限りではまだ7通だけです。

ほとんどは、アメリカの教育制度について意見を書いたものなのですが、一人だけ、日本の教育システムについての指摘をしている方がいらっしゃいます。
投書の三番目、日本の岡山県にご在住のEllen Rubinsteinさんです。

そのご指摘の内容を、一部ご紹介します。

-私はBRENT STAPLES氏の、日本の教育システムについての記事を読んでショックを受けました。
私は昨年、日本の私立女子高校で英語を教えていましたが、著者が熱心に支持しているような「学生の理解」改善のための熱意など、一切目撃していません。

ただ唯一、大学入試に通る可能性を高めるという点においてのみ、学生の理解は意味があります。
授業は講義で構成されており、議論では構成されていません。
生徒は記憶することを教育されており、分析することは教育されていません。

日本の生徒達は、基準化された試験ではアメリカの生徒達よりも優れた成果を出すでしょう。
しかし、彼らは決定的な、思考のためのスキルに欠けています。-
(以上、読者投書より)

なかなか手厳しいです。
しかしここで書かれていることは、日本国内でもよく指摘されていることです。
自分達でも自覚があるだけに、なかなか反論に困ります。

こちらの方は、実際に日本の高校で授業を受け持っていたということですが、この感じだと、
実際の日本の教育現場の様子にちょっと失望されたのかもしれませんね。

さて、New York Timesの記事は、だいたいこんな内容でした。

「日本在住の外国人教師から批判の投書が寄せられるなど読者の大きな反響を呼び、『日本型教育』をめぐる論争となっている。」

と共同通信の記者の方は書かれていますが、実質、日本型教育について詳細な指摘をされているのは上記のお一人だけですので、ちょっと大げさかもしれません。

でも、海外から「見習うべきだ」と賞賛してくれる声や、
「いや、私は実態を知ってるけど、実際はぜんぜん機能していないよ」と指摘してくれる声が、
貴重であることには違いありません。

こうした声に耳を傾けつつ、世界のモデルとなれるように、がんばりましょう!

以上、実はNew York Timesを今日生まれて初めて読んだマイスターでした。

1 個のコメント

  •  日本もアメリカも互いの良いところは取り入れていくべきだと思います。しかし、それよりも大切なことは他国において問題になっているところに目を向け、そこから学ぶということだと思います。
     日本ではアメリカやイギリスの教育制度を優れたものとして紹介され、それを日本でも導入すべきだと言われます。果たしてその教育制度でアメリカやイギリスの国民は幸せになっているだろうか。そういうところに目を向けないまま無批判に礼賛し導入しようとする。それが日本の教育改革の欠点であると思います。