かつて、家から片道3時間かけて大学院に通っていたので、電車内でレポートが書けるノートパソコンは必須アイテムでした。
何で一人暮らしをしなかったんだって? もちろん金がなかったからです!
茨城から神奈川までの定期代は確かに高かったのですが、一人で暮らすための費用に比べたらやっぱりねー…。
さらにwebプロデューサー時代は、客先でパソコンを開いてプレゼンする日々でした。
そんな訳で今でも、ノートパソコンを使っています。
というより、部屋が狭すぎて、ノートパソコンしか置けないのです。
このノートパソコンが無かったら、インターネットで海外の情報を得ることもできませんし、
こうして長文のブログを書き、自分の考えを世に問うことも不可能になります。
このパソコン一つ、ネット回線一本が、どれだけ自分の可能性を広げていることか。
というわけで、今日はこんなニュースをご紹介します。
【教育関連ニュース】——————————————–
■「100ドル・ノートPC,世界情報社会サミットでプロトタイプが披露」(日経BP ITPro)
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/USNEWS/20051118/224842/
■「『100ドルノートパソコン』の詳細を発表――MITメディアラボ」」(wired news:hotwired)
http://hotwired.goo.ne.jp/news/business/story/20051003105.html
■「MIT:100ドル・ノートパソコンの試作機を公開」(wired news:hotwired)
http://hotwired.goo.ne.jp/news/technology/story/20051118305.html
・「100$ Laptop」(MITの非営利組織『One Laptop per Child』)
http://laptop.media.mit.edu/
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MIT-マサチューセッツ工科大学は、ご存じ、世界に名だたる理工系中心の名門大学です。
(スローン校のMBAなど、社会科学系の教育・研究も実は盛んです)
そしてMITの「メディア・ラボ」と言えば、先端メディアの研究・開発にかけては世界随一のレベルを誇る機関として知られています。
デジタルとアナログの技術を融合した先進的なプロジェクトが数え切れないくらい多く存在しており、そこには世界トップレベルの頭脳が集まっています。
マイスター個人としては、MITのメディアラボは純・技術開発志向というよりも、デザイナー的な感性や社会科学の研究成果などと先端技術とを融合させたような、クリエイティブな成果を多くあげているという印象です。
さて、そのMITメディアラボが現在開発を進めているのが、
冒頭の記事で紹介されている「100ドル・ノートパソコン」です。
このコストダウンは、「お買い求めやすくいたしました」という商業主義、利益追求主義の産物とはちょっと違います。
記事にあるように、
「世界中の小中学校の生徒と教師に,ネットワーク機能を備えたノート・パソコンを1人1台ずつ供給することを目指す」
のが、彼らの目的なのです。
そのためMITメディアラボは2005年1月、非営利組織『ワン・ラップトップ・パー・チャイルド』(OLPC)という団体を設立しました。
このOLPCが、まずは途上国の子供達に対し、1台100ドルのノートパソコンを供給する準備を進めています。
日経の記事によれば、
「2006年終わりごろから2007年初頭に出荷体制を整えたい考え。500万~1000万台の発注と支払いを受けたら製造にとりかかる予定」
とのことです。
本ブログ記事を書いている2005年11月24日現在、1ドル=約119円です。
パソコン1台が12,000円だとすると、1,200万円でこのプロジェクトは実行されるわけです。
アメリカあたりの企業や経営者が寄付でもすれば、あっさり達成する額だと思います。
おそらくこの数倍の台数が、実際には製造されるのではないでしょうか。
このパソコン、廉価ですが、よくデザインされていて、実に使いやすそうです。
・100ドルパソコン 製品画像
http://laptop.media.mit.edu/laptop-images.html
通常のノートパソコンスタイルから、電子ブックのような形態まで様々な形で使えるのは、
様々な子供が、様々な用途で使うことを考慮した結果だと思います。
カラー画面モードの他、屋外でも見やすい白黒画面モードへの変更が可能。
これも、途上国のこどもの学習環境をよく考えてありますね。
目を引くのは、側面に取り付けられたハンドルで、これは発電用です。
1分間回し続けると、白黒画面なら最大40分使用できるとのこと。
この価格で、無線LAN接続機能もついています。
各マシンが互いに中継してインターネット接続を共有する技術(アドホックネットワークと言います)を導入しているので、
誰か一人がインターネットに接続していれば、そのパソコンを踏み台にして、近くのパソコンもネットにつながります。
それをさらに踏み台にして…といった感じで、数珠繋ぎの長いネットワークが自然にできる仕組みです。
ところで、最近は日本でも、災害時のための懐中電灯ラジオなどに、「手回し発電」の機能がついているのを見かけますね。
ご存じでしたか?
元々は、「ゼンマイでラジオを動かす」というあのアイディアも、途上国の情報環境の悪さを憂えた一人の発明家によるものだったのです。
ここに、その説明が掲載されています。
・ゼンマイ式ラジオ(アフリカを探って)
http://www.max.hi-ho.ne.jp/africa/column_feature/1996_04_22.htm
話がちょっとそれますが、マイスターは数年前にこの発明家のドキュメンタリーをテレビで見て、泣きました。
確か、見た目はもう白髪のおじいちゃんだったのですが、「途上国のために発明家として何かしたい」という思いで手作りのゼンマイラジオを開発する姿には心を打たれました。
上記のリンクの文章にあるように、このラジオはやはりアフリカの現状を憂えていたある実業家の目にとまったことで、実際に製造されることになります。
その工場自体も、障害者を優先的に雇用する事業になっているのですね。
ひとつの事業アイディアを、様々な社会問題の解決のために連鎖的につなげていく発想力と行動力は、社会起業家のパワーです。
で、ドキュメンタリーの最後、老発明家を実際にその工場に招待するシーンがあったのですが、
「私の発明がこんなに立派な工場で、こんなに立派な労働者に作ってもらえているなんて!」
と感激し、泣きながら工場の労働者一人一人の手を握ってまわる様子が印象的でした。
このゼンマイラジオといい、今回のMITメディアラボのパソコンといい、
社会起業家的な発想と、技術アイディアとの組み合わせは、なんとパワフルなのでしょうか。
たいていの人は、途上国の子供が情報の面で遅れているからといって、
「じゃあ、インターネット機能のついたパソコンを、ひとり一台配りましょう」
なんてなかなか考えません。
「途上国では電気がない。だから、パソコンを配ることには意味がない。
電線を引くのが先だ。子供には、紙とペンを配っておけばとりあえずはいいだろう」
と、考えるのが普通でしょう。
それはそれで一理あるのですが、それではデジタル・ディバイドは広がるばかり。
途上国と先進国の差は縮まりません。
米百俵の逸話を持ち出すまでもなく、教育への投資は、社会を変えるためにやはり必要なのです。
そこでMITの技術陣は発想を変え、
「電気が通ってない村でも、こども全員がインターネットを体験できる」
「貧しい国の子供にも、配れる」
という条件をクリアしたパソコンを開発してしまったのです。
これは、パワフルです。
もうひとつ、驚嘆するのは、迷いがないってことです。
先進国の日本を見てみますと、
教育現場にネットを持ち込むことに対しては、まだまだ様々な議論があります。
子供にインターネットを使わせたくないと思っている親だって少なくないでしょう。
結局、「危うきに近寄らず」という発想に落ち着く人々が多いのです。
それはそれで慎重な判断であり、間違っているとは言えないのですが、
ただその結果、日本の教育現場でのインターネット利用は、先進国では非常に遅れてしまっています。
海外を見ると、先進国のみならず韓国のような新興工業国でも、教育現場にインターネットを導入することは国家目標として進められています。
<参考:過去の記事>
・進まない学校IT
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50014072.html
これらの国々でも様々な議論があることは想像に難くありませんが、それでも「これは将来のために重要だ」といち早く認識し、こうして行動を起こしています。
対して我が国はどうでしょうか。
慎重に思索にふけるのも必要ですが、それだけでは、いつまでたっても後追いの国のままです。
他人が成果を収めているのを見てからでないと動けない、ということでは、先進国とは言えません。
ゼンマイラジオについても、こんな話がありました。
海外の事業家や企業は、ゼンマイラジオが途上国社会のエイズやエボラウイルス問題解決に対してどれだけ影響を与えるかに気づき、いち早く支援していました。
そんな中、日本のあるボランティア団体のトップが、ゼンマイラジオの普及に協力して欲しいと海外の方に依頼されたのですが、彼は自著で以下のように述べていました。
「こうした途上国の社会には、もともとラジオという文明機器は存在しなかった。
だから、いたずらにこうしたものを配布するのは、長い目で見ると、どうかと思った。」
結局、この方はゼンマイラジオの普及に対する協力を断っています。
この方のおっしゃることはよくわかります。
確かに、そうしたことに考えを巡らすことも大事です。
この方が間違っているとは言えません。
ただ…マイスター自身はどちらかというと、
ゼンマイラジオの普及に邁進した事業家や発明家、
100ドルパソコンの開発と流通に全力を注ぐMITメディアラボの関係者の方に共感します。
実際に議論し、決断し、考え、行動して問題を解決しているのは、彼らの方です。
哲学的に思いを巡らしても、世の中は変わりません。
「想う」ことと、「考える」ことは違います。
「考える」というのは、ぐるぐる、うだうだ悩むことではなく、誰も確証を与えてくれない中で決断し、解決法をひねり出すことだとマイスターは信じています。
教育の問題を考える時、私達は往々にして、哲学的に思索を進めています。
それも大切なことですが、哲学だけで世の中は変わらない、これも事実です。
MITメディアラボのスタッフも、きっと、情報機器が途上国に与える「負の一面」を検討したでしょう。
自分たちは途上国にある意味「強引に」この情報ツールを配っていく、その行為はある種の傲慢さやリスクを内包しています。
しかしその上で、様々な議論やデータを検証し尽くした結果、「メリットがそれを補って余りある」と考えたのだと思います。
途上国の視察も繰り返したでしょうし、国連のスタッフともディスカッションをしたと思います。
国連のコフィ・アナン事務総長がこのノートパソコンを絶賛したというあたり、そうした議論・検討の結果が出ているように思います。
どのような方向に、どのようなスピードで進展するかはまだ未知数ですが、
来年末以降、途上国のどこかの村で、
実際に100ドルパソコンを手にした子供達が確実に「変わる」はずです。
もしかすると、その結果、新たな問題が生じるかも知れません。
おそらくMITのスタッフは、彼らが開発したパソコンが途上国の社会にどのような影響を与えていくかを、子供達のすぐそばで、つぶさに見守っていくはずです。
そして問題が生じたなら、その問題を解決するための対策をまた考えるのでしょう。
彼らは、自分達が開発した機器について、ある種の「責任」を背負っているわけです。
もちろん、そうした機器を使用することで起きてしまったすべての物事について責任を負えるわけはありませんが、それでも、
彼らはそう、情報機器の開発者と言うよりは、教育の責任者のような覚悟でプロジェクトに臨んでいるのではないか、
とマイスターは想像するのです。
以上、長々と考えを述べさせて頂きましたが、これは、実に示唆に富む事例だと思います。
ぱっと見は、とある大学の技術陣がパソコンを開発した…というだけのニュースですが、実はこれはひょっとすると、
情報と教育との関係について、
教育と社会の変革について、
教える者が、教わる者に対して担う責任について、
途上国の教育レベル向上に対して先進国ができることについて、
など、様々なレベルで教育学的な見地を含んだ事例なんじゃないかな、とマイスターは思います。
100ドルノートパソコンが、途上国の教育の力強い支えになることを、応援しています。
山奥のどこかの貧しい村で、今の自分のようにノートパソコンに向かう子供の姿を頭に思い浮かべるマイスターでした。
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※今回、文中に登場した「社会起業家」という言葉をご存じない方は、こちらをぜひどうぞ。
社会問題を解決したいと思う熱い心と、現実に物事を変えていく事業家のアタマを併せ持った、
社会の改革者達のことを、ソーシャル・アントレプレナー-社会起業家と呼びます。
※ゼンマイラジオの発明者トレバー・ベイリス氏は、その発明で一躍、名声と財産を築いたようです。バッキンガム宮殿で勲章までもらったようです。そうでなくてはなりません。
・「歩くと携帯電話を充電してくれる靴(上)」(wired news:hotwired)
http://hotwired.goo.ne.jp/news/20000629301.html
ここで、「え?いい人じゃなかったの?結局、お金儲けのためだったの?幻滅~」と思われた方は、<社会の役に立つこと=慈善事業、奉仕>という発想にとらわれています。
社会のために貢献した仕事で、富を築くことが、そんなにいけないことでしょうか?
清貧な聖者が無償奉仕するというイメージは、美しく響きますが、それでは世の中はなかなか変わりません。
マイスターとしては、社会のために役立つことをした人が、それなりに報われる社会を肯定したいです。