群馬大学医学部 第2回口頭弁論 地元紙の報道は?

マイスターです。
夢は、市民一人一人にとって、学校が自己実現のためのパートナーになっている社会をつくることです。

このブログ「俺の職場は大学キャンパス」では、群馬大学医学部の入試に関する問題を追い続けています。
それは群馬大学で起きたことが、上述したような社会が実現されるか否かに関わる重要な問題だと考えているからです。

大学に限らず、今後、あらゆる学校が社会の中で健全に責任を果たしていくためには、捨て置けない事件です。

【群馬大学医学部問題 これまでの経緯】——————————————–

2005年07月04日 「<不合格>理由は年齢?55歳主婦、群馬大を提訴」
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/26991280.html

2005年07月06日 「群馬大学医学部」
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/27275108.html

2005年07月12日 「群馬大学からの回答:7/22以降」
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/27842641.html

2005年11月05日 「群馬大学医学部: 広報担当者からの回答」
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50087386.html
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さて、11月5日の記事でご紹介した、

・産経新聞
・東京新聞
・毎日新聞
・朝日新聞

の、2005.10.29の地方版記事がそれぞれ入手できましたので、本日はその内容をご紹介します。

群馬大学医学部医学科を受験した東京都在住の55歳の女性が、
年齢を理由に不合格の判定を受けたのは不当として入学許可を求めた訴訟、を報じた記事です。
(ちなみに訴訟自体は10月28日に前橋地裁で行われたとのことです)

取り寄せてみると、どの新聞も、そんなに大きな記事にはしていません。

最も小さい扱いの朝日新聞で24行、
最も大きい産経新聞でも、48行ですからね。
(ちなみに、いずれの新聞も、1行=11文字です)

このうち、朝日の記事の内容は、前回の記事でご紹介いたしました。
今一度、以下に再掲いたします。

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記事名:「判例を示して群大側が反論 医学部入試訴訟 /群馬県 」(朝日新聞:群馬の地域ページ)より

記事の要点:
○入学許可を求めた訴訟の口頭弁論が28日、前橋地裁(東條宏裁判長)であった。
○群馬大学は、大学入試や資格試験の合否判定が「司法審査の対象外」とされた判例を示し、「(裁判所が審査する)法律上の争訟にあたらない」という従来の立場を強調した。
○原告の女性が公開を求めている面接の結果や採点基準については、「極めて高度な専門的性質や教育的見地を有する行為」として、開示にはなじまないと主張した。
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以上のように、主に、大学側の主張を紹介する形になっています。
朝日の報道に含まれる内容は、他の3紙でも共通して取り上げていて、差がありません。

東京新聞も、


記事名:「医学部不合格訴訟で群馬大側 面接結果開示を拒否」(東京新聞:群馬の地域ページ)

というタイトルで、朝日とほぼ同じ内容を報じています。

これに対し、最も事件の報道に紙面を大きく使った産経新聞では、
朝日や東京新聞の報道内容に加えて、裁判の争点と、原告女性のコメントが掲載されています。

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記事名:「面接結果開示を拒否 群大入試訴訟 」(産経新聞:群馬の地域ページ)より

○訴状によると、女性は2005年1月に大学入試センター試験、2月下旬に個別学力試験(二次試験)を受けて不合格だったが、情報開示を求めたところ、センター試験と二次試験の合計点が合格者の平均点を約十点上回っていたことが判明した。
○群大に説明を求めたところ、担当者から面接で年齢が問題になったとの回答を非公式に得たとされている。
○実際に面接試験で女性の「年齢」が問題とされたのかどうかが裁判の焦点となっている。
○女性は閉廷後、「入試に不透明な部分があると、大学側の裁量で地元の学生や男子がいいなどと、大学にとってほしい人材だけを取ることができてしまう」と話した。
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女性側の主張が載っている分、若干、双方の主張が比較しやすい内容になっています。

毎日新聞も、基本的には産経と同じスタンスです。

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記事名:「群大側が面接結果開示拒否 55歳女性不合格訴訟口頭弁論」(毎日新聞:群馬の地域ページ)より

○原告側は「公的機関の国立大学が恣意的に合否を判定することは許されず、合格基準に達すれば入学を許可すべき法的義務がある」などと主張する準備書面を提出した。
○女性は閉廷後、「入試に不透明な部分があれば大学がすべて裁量で、年齢や住所だけで欲しい人材を選べてしまう。これから受験する人のためにも頑張った人が報われる入試であってほしい」と訴えた。
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さて、以上が、各紙の報道内容です。いかがでしょうか。

まとめると、

○女性は、学力試験では合格点を約十点、上回る結果を出している。
○すなわち、学力とは関係なく、大学側が「総合的判断」でこの女性を不合格にしたということになる。
 そして群大の担当者は一度、「年齢が原因である」と示唆する回答をしている。
○しかし、その「総合的判断」がどのような基準に基づくものか、大学は開示を拒否している。

というのが、現在の状況ですね。

確認しておきますと、まず群馬大学は自らのwebサイトのFAQコーナーで、
「(応募に)年齢制限はありません」ということをはっきり書いています。

■「医学科 入学に関するFAQ」(群馬大学webサイトより)
http://www.med.gunma-u.ac.jp/buisiness-offices/educational-affairs/admissions/undergraduate/faq.html

また、アドミッションポリシー(入学者受入方針)がweb上で公開されていますが、
そこに「背景や価値観の異なる多様な人材を求め」とか、
「医学校行く内容を十分理解するために必要な総合的基礎学力を備えている人を求めています」とかいう言葉はあっても、
「医師として長く働ける、若い人だけを求めています」という言葉はどこにも見あたりません。

■「群馬大学医学部医学科 アドミッションポリシー」
http://www.gunma-u.ac.jp/nyushi/youkou/18policy_ii.pdf

つまりこれでいくと、「総合的判断」の中に、年齢という要素は一切、含まれてはいけないのです。

誤解の内容に申し上げておきますと、もちろん群大は地方の国立大学ですから、
「地方の医療になるべく長く貢献できる医師を育てよう」という方針があったとしても、
それは咎められることではないと思います。

ただ、その場合は、

「本学は、~~というミッションに従い、○○歳未満の学生しか受け入れません」

ということをはっきり書いておくべきです。
それなしに年齢を1ミリでも持ち出したのなら、それはもはや評価とか採点とかいうものですらなく、ただの差別です。
(後述するように、いずれにしても、すべての学生を年齢で判断することには大いに問題があると思うのですが)

もう少し、細かく触れましょう。

上記で紹介した入試のFAQページには、こう書いてあります。

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Q.応募に年齢制限はありますか?

A.年齢制限はありません。制限があるとすれば、あなたの知力・体力・気力です。しかし、医師として活躍するには、6年間の課程に加えて、臨床研修2年間も含め卒後10年間くらいの経験が必要であることを考慮してください。
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「しかし、医師として活躍するには、6年間の課程に加えて、臨床研修2年間も含め卒後10年間くらいの経験が必要であることを考慮してください。」

の但し書きを私達のような大学職員が見れば、
群馬大学の教育方針やミッション(良質な医師を育成する、etc)などに思いが及びます。

で、思わず

「そりゃ、若い人より、長く医師として働いてくれる人を取りたくなるわなぁ」

と、考えてしまいます。
そう判断するのが、大学としては当然である、と。

しかし、もう一度上記のFAQの文章を読んでください。

大学組織の関係者でない方が、常識的にこれをそのまま読むかぎり、

「もしあなたが本学を出て医師を目指す場合、
 6年間の課程に加えて、臨床研修2年間も含め卒後10年間くらいの経験が必要であることを
 自分で覚悟した上で、応募してください。
 応募自体には、年齢制限は設けていません。」

というように受け取れるのではないかな、と思います。

臨床研修2年間うんぬんを考慮するのは受験生自身であって、
大学がこれを独自に判断し、合否の材料として使うつもりはない、
ただ、合格した後も知力・体力・気力が求められ、大変であるから、
応募にあたっては、そこはじっくり考慮すること。

受験を検討する社会人にとっては、この文章はそんな意味合いに読み取れそうです。

つまり学力以外の部分は、
大学が判定する性質のものではなく、受験者本人が自分で責任を負う類とされているのです。

確かこの原告の女性は実際、医師として医療に関わることを希望して群馬大学を受験したと、別のメディアで報道されていました。
ジョークで医学部に入った訳ではないでしょう。

それを大学側が、一体、点数以外のどんな「総合的判断」で不合格にしたのでしょうか。

医師としてひとり立ちできるかどうかの総合的な判断、ということですが、
筆記以外に、「体力・気力」を判断するための試験をやっているわけではないのですから、
群馬大学医学部の教授陣は

 「55歳じゃ、きっと卒業まで気力がもたないだろう」

 「この人は主婦だから、女性だから、高齢だから、医師をやるには体力が続かないだろう」

 「医師になっても、きっとすぐにやめてしまうに違いない」

 「医師になれるはずがない」

といった印象や先入観、偏見で合否を判定した、
なんて指摘を社会から受けてしまったとしても、これはやむを得ないところではないでしょうか。

ちなみに、考えられる最悪のケースは、

「本当は年齢を考慮して合否判断を行っているが、それをアドミッションポリシーや募集要項にはっきり書くと、人権などの面で問題がありそうだし、誰かに指摘を受けるかも知れない。だから、明記はしないけど、実際の判定では考慮している」

という運用の仕方を、慣例的にずっとしていたという場合です。
言語道断のケースですが、この可能性が全くないとも言えないのが、現在の状況です。

覚悟を決め、人生を賭けて受験してくる社会人のことを考えているなら、
様々なバックグラウンドを持った、多様な人材が受験してくるのを承知していたなら、

群馬大学医学部は「総合的な判断」の内訳を、やはりもう少し明確にするべきだった、

と、マイスター個人としては考えています。

群馬大学に限らず、アドミッションポリシーなどがあいまいな大学は多いように思います。

今後、日本の大学も、社会人学生を主要な顧客のひとつにしていく時代がやってくると思いますが、そのときに、こうした不幸なすれ違いがおきないようにするためにも、学力以外の判定基準は極力開示していくべきかと私は考えています。

今回の裁判は、ちょうどいい機会になりますね。
判断に自信があるのなら、群馬大学は可能な限り裁判でその判断基準を開示し、説得力のある議論をしていただきたいなと思っています。
日本中が「なるほど、確かに群大は高度な判断を行ったのであるな。さすがだ」と感心するレベルの議論を、裁判で見せてくれることを期待します。

マイスター個人の考えとしては、「大学は、せいぜい2~30代くらいまでが学ぶ場所」という先入観は、なくすべきだと思います。
もし群馬大学医学部が、年齢や、この先の「就業可能期間」を判断材料にしたのだとしたら、それは絶対に認められません。

55歳だから、同じ教育をしても医師になれる可能性は低いとか、
55歳だから、医師として活躍できる期間が短いとか、

そんなのは、受験した本人が考えるべきことではありませんか。
いったい、本人以外の誰が、そんな「総合的判断」をできるというのですか。

憲法が、すべての国民に学ぶ自由を保障しているのなら、
55歳の主婦であるという事実は、絶対に、総合的判断とやらに入れてはいけないはずです。

不治の病を抱えて生きている方に、

「君はもう先が長くないから、大学に行く意味はないよ。
 ウチは国立だから、税金を有効に活用するために、総合的判断で君は不合格にしたよ」

と言うシチュエーションを想像してみれば、年齢や「残り就業可能期間」で合否を判断することのおかしさがわかると思います。
そんなの、本人が決めることでしょう。

その辺を確かめるためにも、群馬大学には、法廷で面接結果を開示して欲しいと思います。

それがないと、日本の大学の社会人教育が前進しない!とすら、マイスターは思っています。
この裁判結果は、今後、日本の大学の施策に影響を与える可能性があると思っています。

そんなわけで、結果が出るまで、今後も刮目して、事態を追い続けることにいたします。

ちなみに、ブログを読まれた読者の方から教えていただいたところによりますと、

従前から医学部で編入学生を実施していたのは大阪大学と東海大学で、
その後、「21世紀医学・医療懇談会」第1次報告を受けて最初に編入学制度を作った2大学のうちの一つが、群馬大学なのだそうです。

つまり、もともと群馬大学医学部は、社会人経験のある医師を育成するのには理解がある(?)大学のはずなのです。

群馬大学医学部が、社会人対応をいち早く行ってきた大学だとしたら、今回の事件のような対応は、なお、もったいないことだと思います。

今後、群馬大学がどういった主張を法廷で行うのか、注目です。

以上、この事件に関する情報を募集しているマイスターでした。

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11/17追記

上記のような記事を書くと、「学力試験だけで学生を採用するのがいいと思っているのか」というご意見をいただいたり、
AO入試などに反対しているように思われるかもしれませんね。
誤解のないようにあらかじめご説明させていただいておくと、そうした意図はありません。

本来のAO入試は、初めから自分の大学が求める人材像を明確に打ち出し、
「それにあう学生を面接その他で選ぶ」
と宣言している入試です。

筆記試験よりも、大学が戦略的に学生を集めることに向いていると言えますが、
そこにはきちんとした、「こういう学生を取るという指針や方針」のようなもの、いわば「契約条件」のようなものが示されているのです。
AO入試では、筆記試験による入試よりも、大学の立場やミッション、方針が明確にされているといえるでしょう。

社会人を受け入れるか否か、その場合の年齢制限はどうか、卒業後何をしたいのか、といった点も、AOの入試では重視されます。
そういう選抜方法だからです。(できてない大学もありますが)

学生を募集するという行為が社会と大学の間の「契約」であるとしたら、
AO入試は、その契約条件をはっきり示すことで、入学者と大学のミスマッチをなくす方式だと言えましょう。
むしろ、こうした姿勢には、マイスターは大賛成です。
自分自身、大学院はAO入試で入学していますが、そのとき審査にあたられた教員の方々は、マイスターがその大学院でやりたいことを実現できるかどうか、慎重に丁寧に確認してくれていました。試験というより、契約条件履行にあたっての、双方の確認という感じでした。
おかげで、そうして入った大学院では、充実した2年間を過ごせました。

しかるに今回の群馬大学の場合、その「契約条件」があいまいにされていたばかりか、
本来は条件に含まれないはずの部分で合否が判定されていたのではないか、という疑いがあるわけです。

これは、いけません。
なあなあな契約で社会と関わろうとする組織は、いずれ社会から信頼を得られなくなります。