ただ、以前、
・文系、理系という分け方の弊害
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50020633.html
という記事で書きましたが、基本的にマイスターはそもそも、文系・理系という分け方自体に疑問を感じています。
ちょっとだけ個人的な話をしますと、
マイスターは大学で建築学を学びましたが、受験生の時からずっと、
可能であれば、歴史や考古学、哲学、倫理学にも興味があったし、NPOなどの運営も大学で学びたいと思っていました。
高校の物理でとても面白かった原子物理学の分野についてももっと知りたかったし、作曲法だって習いたかった。
アート・マネジメントの理論も知りたかった。
要するに、興味が文系、理系と区別できないタイプだったのです。
よく言えば、好奇心旺盛で、学ぶ意欲が有り余っているということになりますが、
高校の進路指導教員、および大学の入学課のスタッフにとっては、こうした生徒は「困った奴」以外の何者でもありません。
「ちゃんと進路を絞りなさい」「将来何をしたいかを考えて、学部学科を絞りなさい」と指導する対象になりますよね。
(「絞れないなら、色んな学科を受けてみて、受かったところから選べば?」とアドバイスする高校教員はいますが、それは受験指導ではあっても、進路に関するアドバイスではないとマイスターは思います…)
で、実際にはその前段階、高校2年生の初めの時点で、理系か文系かのどちらかを選択することになっているわけです。
ですから、高校3年生の時点では、もう選べる学問は半分くらいになっているのです。
このように理系、文系に進路を分けさせるというのは、イマドキの高校なら普通に行っている指導でしょう。
じゃあ何か、その時点でもし文系を選んだら、一生、核物理学や遺伝子工学とは無縁ってことなの?
と、マイスターは疑問に思ったのです。
だって、文系として高校で学び、受験をし大学に入ったら、おそらく学びたくても核物理学をきちんと研究者から学ぶチャンスなんて、そうそうありません。
実質的に、高校2年の時点で文系に行ったら、核物理学を体系的に学んだり、遺伝子実験を授業で行う可能性はほとんどないのですから。
まあせいぜい、本屋で「1時間で理解できる核物理学!」みたいな本を買って読む程度でしょう。これでは、知識ではなくて、ただのウンチクです。
理系進学者が、文系の学問を学びたいと思った時についても、同じことが言えると思います。
で、こうした指導が、自分自身にとってプラスになっていたとは思えないのです。
大きく言いますと、全国で行われるこうした「自分が文系なのか、理系なのか、決めなさい」指導スタイルが、日本社会にとってプラスになると思えないのですよ。
自分自身のための指導ではなくて、きっと高校や、大学の関係者のための指導方法だな、とマイスターは高校生の時に思ったのです。
今も、その疑念は変わりません。
こうした仕組みは、社会にとってプラスなのか、マイナスなのか。
そもそも、高校生のうちに、学ぶべき学問を文系、理系に分ける意味はあるのか。
そんなわけで、今日は1冊、本をご紹介します。
理系白書
2年くらい前に買った本ですが、内容はまったく古びたりしていません。
それはつまり、世の中の環境がほとんど変わっていない、ということでもあります。
興味深いデータが紹介されています。
とある国立大学の理系学部と文系学部(入学時の偏差値はほぼ同じ)を一つずつ選び、過去50年間の卒業生の収入を調べたデータです。
結果、大学卒業後の22歳から60歳まで働くと仮定して各年代の平均収入を合計すると、
理系出身者の総収入は3億8,400万円、
文系出身者の総収入は、4億3,600万円、
なんと生涯賃金に、一戸建て1件に相当する、5,200万円の差がついたのです。
また、企業の中でも、理系より文系の方が、昇進しやすいという点もあります。
この調査で、
31~40歳で課長以上の肩書きを持っていた文系は36%だったのに対し、
理系では、その半分以下の14%でした。
なお51~60歳で常務以上の役員の肩書きを持つ文系は30%で、
理系の19%を大きく上回る結果が得られたそうです。
理系の学問に興味を持って理系の学部に進学すると、それだけで出世に不利になるのが日本の現状なのです。
こうした「文理差別」は企業だけにとどまりません。
中央省庁に勤める国家公務員1種合格者達、通称「キャリア組」についても、あからさまな文理格差が存在しています。
国家公務員試験1種試験は、大学での専攻に合わせ、13の区分に分けられています。
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行政:約15名
法律:約170名
経済:約 80名
理工 I(一般工学系):約140名
理工 II(数理科学系):約15名
理工 III(物理・地球科学系):約25名
理工 IV(化学・生物・薬学系):約50名
農学 I(農業科学系):約35名
農学 II(農業工学系):約25名
農学 III(森林・自然環境系):約30名
農学 IV(水産系):約10名
人間科学 I(心理系):約10名
人間科学 II(教育・福祉・社会系):約10名
以上、人事院webサイト「国家公務員採用 I 種試験:案内(平成17年度)」(http://www.jinji.go.jp/saiyo/shiken01.htm)より。
カッコ内は採用予定人数。
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以上の中で、「行政」「法律」「経済」での採用者が事務官とされ、それ以外が技官となります。
「技官」といっても、別に技術者を採用しているわけではありません。
あくまで、日本全体の政策に携わる高級官僚には違いありません。
人事院人材局も
「事務官と技官の区分は、終戦直後の1946年に出された勅令の名残。実質的な意味はない」
と言っています。
ですが、実際の出世には、露骨に文系である事務官が優遇されているのです。
この本には、2001年7月に、官僚の文系・理系の割合をポスト別に調べたデータが掲載されています。
国家公務員1種の新採用者605人のうち、理系出身者は実に55%を占めるのですが、この理系の占有率は、
「審議官」級で19%、
「局長」級で13%、
「次官」級で3%、
と、上に行くに従ってはっきり減少していくのです。
結果、全体の45%しかいなかった文系が、次官の97%を独占するのです。
こうした格差の背景には、「技官の出世は部長か、せいぜい審議官が上限」という、霞ヶ関の不文律が存在しているとのこと。
制度上は、あくまで「便宜上の違い」で、「実質的な違いはない」とされているのに、です。
ちなみに政治家も、文系比率が高いです。
経済界でも、文系出身者が多数を占めています。
まさに、文系の、文系による、文系のための日本づくり。
「理系は就職に強いし、文系よりも食いっぱぐれがないぞ」なんて無責任なことを今でも子供に言っている親がいたら、教えてあげたい衝撃の事実です。
でね。
ここからが、マイスターの気になるところなのです。
政治家に文系が多いのは、「法学部」「政治学部」というものがあるから、まだわかるのですよ。
(実態はともかく建て前としては)政治に興味を持った人がこれらの学部には多いと思いますからね。
また、産業界のトップに文系が多いのも、「経営学部」「商学部」「経済学部」などを出て、ビジネス素養のある人がいるから、と強引に納得できるのです。
でもこのトップの人達はたぶん、遺伝子工学や核物理学なんて、その人生でタダの一度も、触れてきてない人なのですよ。
それどころか、高校生の半ばで、理系学問の大半から、オサラバしている人たちなのです。
冒頭で触れたとおり、日本の中等~高等教育が、そのように設計されていますからね。
変な話、理数分野を学びたくても、その機会を与えられなかった人たちが少なくないはずなのです。
さぁ、そんな人が日本のトップを牛耳っていて、
果たして日本は科学技術国家としてやっていけるのでしょうか?
BSEに代表される食品の安全保障や、
ちょっと前の某干潟の埋め立て問題、
今後の医療の在り方、
原子力政策の進め方、
食品メーカーの衛生確保問題、
などなど、そんな数々の問題を解決する組織においても、
残念ながら上で指示を出しているのは、これらの科学をほとんど大学で学んだことのない文系出身者な訳ですよ。
(ちなみに薬害エイズ問題で素早い対応をした菅直人さんは理系出身です。
東工大出身で弁理士の資格も持っているという、日本では大変珍しい、きちんとした理科学的素養のある政治家です)
現状の日本では、こうした日本の諸問題に関する基礎科学を大学で身につけた人も、最終的には文系の指示に従わなければなりません。
「政治経済学部を出たけど、基礎理化学の分野でも20単位とった」
なんて人がいればまだ安心だけど、そんな人材はまずいないわけです。
むしろポストが与えられて初めて技官からレクチャーを受けるような政治家や官僚がいそうな気すらします。
マイスターは、とっても不安です。
これは参考ですが、この本が出る前、2003年3月の時点で、
中国共産党執行部はなんと全員! 大学で理工学系統の学問を専攻しています。
科学技術を国の重要政策として掲げ、急成長を遂げている中国では、技術に疎いリーダーはいないのです。
国の舵取りを行っているわけですから、政治や社会科学、法制の面でも素養がある方々なのでしょう。
技術を専攻したからトップにしない、なんていう日本とは対照的ですね。
こんな社会的にデメリットが多い日本の文系・理系制度が、なんでほとんど文句を言われずに残っているのだろうかとマイスターは思います。
「俺、文系だからさぁ、数字とかダメなんだよねぇ」
なんてセリフはどこでも耳にしますが、こんな言葉があっさりとジョーク程度で使われる社会というのは、実は危機的な状況なのではないかとも、思います。
本当は高等教育レベルで、
政治学を学んでいる学生が第2専攻で数理科学を学んだり、
法学を学んでいる学生が遺伝子工学を体系的に学んだり、
核物理学専攻の学生が、国際支援政策を学んだりできる、
そんな仕組みがあっていいのではないでしょうか。
既にいくつかの大学で、文理融合のコースを設ける例が出てきていますが、
全体の人数からみれば、まだまだわずかな割合でしかありません。
あくまで彼らは「例外的な存在」としてしか認知されていないのですね。
高校の段階から、もっと多くの生徒が進路指導教員から、
「今から文系、理系に分けるなんて、まだキミには早いんじゃないか?
もっと柔軟に学んでいいんだぞ」
とか言われるような社会が、マイスターの個人的な理想です。
もちろん、初めから特定の学問に絞って学べるのも大事ですし、そうした学びを望む学生も多いでしょう。
それでも、今後の日本社会のために、学問の多様性は確保されるべきだと、個人的には思います。
以上、あまり早い段階で人を文・理に分けることに反対するマイスターでした。