私大向けの破たん保険、文科省が創設か!?

新卒で最初に入った会社は、入社試験を受けたときは株式会社だったが、4月に入社したときは有限会社だったという衝撃の経験をしたマイスターです。

ひらたくいうと、私が修士論文の制作に明け暮れていたころ、会社が一度破綻していました。(もちろん、入社前に一度連絡は来ましたが)

社会人第一歩目にして、早くも「いい仕事をしている組織も破綻する」という事実を、身をもって知ってしまいました。
今にして思えば、とんでもないスタートでした。

おかげさまで私は、気持ちの上ではいつ何がおきても平気です。

あの会社は、これからの厳しい社会で生きていくための、最も強力な武器をくれたんだと思います。

もちろん、本学に何も起きないことを祈っていますが…。

さて、この資本主義の真理は大学にも当てはまるらしく、
日経のwebサイトで、大学の破たん対策に関する記事を見つけましたのでご紹介します。

【教育関連ニュース】——————————————–

■「私大に破たん保険・文科省、学生救済へ2008年度にも」(NIKKEI NET)
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20051017AT1G1600J16102005.html
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「預金保険機構の大学版」を、文科省主導で創設するという内容の報道です。

各私立大が出し合った資金をプールしておき、在学生が卒業するまで破たん大学の運転資金に使う、という仕組みを構築し、経営破たんした私立大学の学生を救済するというのが、案の骨子。

ちなみに4月の時点では、以下のような発表がなされていました。

■「経営困難な学校法人への対応方針 文科省発表 私学の経営破綻を回避〝対応マニュアル〟」(全私学新聞)
http://www.zenshigaku-np.co.jp/news/2005/news2005041319740101.html

このときの方針は
(1)なるべく経営破たんしないように、助言はしていく。
(2)大学が破たんした場合でも、原則として在学生が卒業するまでは、大学は存続させる。
(3)それすら「どうしても不可能」な場合は、近隣の、似た専攻の大学に学生を移籍させる。

で、今回の「破たん保険」は、この(2)について、具体的な資金運用の方法を提案したという形になりますね。

マイスターもこうした「保険」のような制度は、(あまり考えたくはありませんが)必要だと思います。
この先、多くの大学がつぶれていくのは必至で、
その際に多くの学生が路頭に迷うのも、これまた間違いのないことです。

こうした「競争と淘汰」に関しては、産業によって、大きく二つの考え方があると思います。

それは、

○競争によってヤバイ組織は徹底的につぶし、淘汰する

という考え方と、

○つぶれるのはやむを得ないが、なるべくやんわりと、ソフトランディングさせる

という考え方。

まず、徹底的に淘汰させるケース。
本来であれば、大学がつぶれた場合、

「つぶれそうな大学を選んだ学生の自己責任」

という非情な論理だって、ないわけでもありません。
そのように厳格に自己責任を求めれば、学生も、大学の財務内容に関心を持たざるを得ませんから、いきおい、財務に不安要素を抱えた大学には、入学希望者が集まらなくなりますよね。
きっとメディアも、こぞって「この大学には行くな!」式の情報を流すでしょう。
(自分で書いておいてなんですが、「卒業まで持たない大学ランキング」って、おっさん雑誌にも、おばさん雑誌にもウケそうな記事ですね)

結果、おそらく数年の間に、破たんする大学が続出です。
積極的に競争させた結果ですから、当然かもしれません。
一刻も早くウミを出す」のが目的です。

一般企業、特に中小企業は、常にこうした戦場で戦っているわけです。

で、もう一方、
「つぶれるのはやむを得ないが、なるべくやんわりと、ソフトランディングさせる」
というケース。

こうした政策の対象になっているのは、銀行ですよね。
金融不安を起こすわけにはいきませんから、なるべくなら、ひとつの銀行だって、つぶれてほしくないと国は考えているわけです。

「お前がこの銀行を選んだんだから、預金がパーになってもお前の責任だろ」

という市場経済の論理を適用するには、銀行の持つ社会的な影響力が重過ぎるのです
つぶれそうだという噂がちょっと流れただけで、窓口で取り付け騒ぎが起こったケースもあるくらいです。
日本の金融が大パニックになる可能性だってあります。

とはいえこの経済の大変革期に、ぬるま湯体質の銀行が、ひとつもつぶれないなんてことは常識的に考えられませんから、
なるべく顧客に迷惑をかけないよう、静かにゆっくりと倒れていってもらおうということです。
で、とりあえず1,000万円まで預金を保護しておけば、預金者の大半を占める個人顧客はほとんど文句を言いませんから、金融庁もひと安心。
こうした防護網を敷きつつ、銀行がつぶれたときもなるべく社会的なショックが軽減されるようにしているわけです。

大学も同じこと。
銀行ほどではないけれど、大学が社会に与える影響力は、大変に大きいわけです。
入学して1年間で大学が破たんなんかしてしまったら、学生さんにとっては、目もあてられませんよね。

専門分野の教育なんてほとんど受けていませんし、取得した教養科目の単位がどう扱われるのかもサッパリ。不安だらけでしょう。
入学金も払っているわけですし、なにより受験期からも含めた貴重な「時間」も費やしています。
これを、

「つぶれちゃったね、残念でした」

の一言で済ませるわけにはいかない、という視点は当然、ありますね。
日本の高等教育システム全体の信用が下がります。
少なくとも文科省は、在学生を放置することはできないでしょう。

また、破たんした場合、卒業生のデータなども問題になります。
地方の小規模大学でも数万人単位のOBがいますからね。

 (※破たん大学OBの情報に関しては、以下のサイトが詳しいです。
 ■「経営難で大学が次々閉鎖。卒業生履歴のゆくえは? 母校消滅!私の履歴はどこへ?」(All About)
 http://allabout.co.jp/study/adultedu/closeup/CU20050310A/index.htm

さらに大学の場合、公的な組織からお金が入っていたり
地域の町おこしの切り札になっていたりします。
その場合、やはり破たんしては困る人がそこかしこに存在するのですね。
大人の事情が跋扈する世界です。

このように色々な理由はあるのでしょうが、基本的に現在の文科省は、

「つぶれるにしても、なるべくソフトランディングさせる」

という路線でいるようです。
今回の「破たん保険」の仕組みも、その施策の一つと言えるでしょう。

もっとも、

  破たんが決定
 →在学生を全員送り出すと同時に閉校
 →在学生は規定の年限で全員卒業させないとマズイ
 →多少成績が悪くても、半ば強制的に卒業を認める
 →卒業生の質に対し、世間は厳しい評価をする

というリスクはありますから、やはり受験の時点で、破たんしそうな大学は選ばないのが賢明です。

銀行にしても、大学にしても、かつては、

○何があろうと絶対につぶさない(たとえ税金を大規模に突っ込んででも)

という選択肢があったのだろうと思いますが、さすがにそんなのんきなことを言ってられる時代ではありません。

社会的な影響を最小限にとどめながら、うまく大学を終わらせる努力をしたいものです。
そういうスキルを持った「大学処理のプロ」には、これから、活躍する場が出てくると思います。

というわけで、余計なお世話だと思いますが、破たん保険、ぜひ入ってください。>日本の私大関係者様

最後に、ちょうど冒頭の記事と同じタイミングで掲載されていた記事をご紹介。

■「OECDなど、年内に大学学位相互認定の国際指針」(NIKKEI NET)
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20051017AT1G1401P16102005.html

今後、大学は国内の少子化だけでなく、国際的な競争にもさらされることになります。

現在は「ソフトランディング」路線の大学政策ですが、
これが「強制的にウミを出す」という方向に変わることがあるとすれば、
そのキッカケは海外との熾烈な競争ではないでしょうか。

銀行だって、国内だけで平和に共存していくだけなら、つぶす必要はなかったかもしれません。
海外からの開放圧力などがあったからこそ、あそこまでの大改革をせまられたのでしょう。
大学だって、うかうかしていられません。

自分の給料が「破たん保険」から支払われるようなことは避けたいマイスターでした。

6 件のコメント

  • 市場原理に任せると前に書いていましたが、それは多元的な未来予測の投資の視点を織り込む制度という意味でのリスク管理であって、このような大学の破綻リスクを文部科学省のもとの独占的保険機構で回収するというのは市場原理と正反対の極めて社会主義的な制度であると思われます。そのような機構が必然的に社会主義的になるのは産業再生機構の例を見ても明らかです。産業再生機構がどのような判断基準で再生させる企業を決めているのか、極めて恣意的であるとの評が後を耐えません。市場原理と関係なく、一部の既得権益の非公開の調整によって、再生先が決まるという極めて社会主義的な隠蔽体質が助長されてしまいました。

  • そもそも私学に対する私学助成金は憲法違反であるとの専門家の意見が昔から存在し、そのうえこのような機構を作られては、憲法違反の判断はますます強まります。再び小泉改革の精神と正反対の方向に向かおうとしている文部科学省の失策ではないでしょうか。小泉改革の担い手である山本一太議員はかねがね文部科学省の解体を主張しているそうです。とにかく選挙で300議席も獲得した自民党の方針と正反対のほうにあからさまに行うというその神経には飽きれてしまいます。このようなことを平気で行う文部科学省は小泉改革において解体すべき第一の対象に違いありません。
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  • マイスターです。
    コメントも、トラックバックも、大歓迎です。
    ぜひ、様々なご意見をお聞かせください。
    日本が世界でも、かなり特殊な文教政策を行ってきたのは確かですね。
    世界的には、大学と言えば国立か公立がメインです。特に欧州では私大の存在自体が珍しく、学費がほとんど無料みたいな国も珍しくありません。
    日本のように、私立大学の送り出す学士が半数以上を占めているというのは、実は結構、稀なケースです。
    ちなみにアメリカは例外的に私大の数が多い国ですが、コミュニティ・カレッジも含めると、公立大学の数も膨大です。またアメリカでは、大学の認証には国は関わらず、独自の認証機関が大学を認証しますから、外から見るとある意味、市場主義っぽく見えますが、実は公的な資金も非常に多く使われており、大学運営者たちの意識としては、全然、市場主義ではないようです。むしろ、パブリックな存在として社会から扱われています。
    いい加減な認証機関によって認証された大学が発行する「ニセ学位」が流通し、社会問題化するなどの一面もありるようで、なかなか、問題も多いようですね。
    日本の大学に「市場原理を取り入れる」というアイディアですが、そうして独自の高等教育モデルを構築し、それが成功を収めることになったなら、日本は世界で最も特異な高等教育を運営する国として、注目を集めることになるでしょうね。
    私には、それが理想的な姿なのかどうかはわかりませんが、一考してみる価値はあるかもしれません。

  • 最近の某経済新聞のミスリードにはちょっと憤慨しています。
    その1「各私立大が出し合った資金をプールしておき、在学生が卒業するまで破たん大学の運転資金に使う、という仕組みを構築し、経営破たんした私立大学の学生を救済するというのが、案の骨子。」
    論理矛盾があります、(1)文部科学省が私学の経営に対して直接指揮することはあり得ない。(2)補助金を貰っている各私立大学が資金をプールして他の大学に資金援助することは制度上不可能。(3)全私立大学の財務状況を正確に把握・分析しているのは私学振興・共済事業団である。

  • その2「国立大の資産総額9兆円・法人化後初の決算
     文部科学省は23日、全国89の国立大学の法人化後初の2004年度決算の概要をまとめ、公表した。4つの大学共同利用機関を含む93法人の資産総額は約9兆円、収入に当たる経常収益は計2兆4400億円だった。純利益は計1103億円に上った(10/17)」
    国立大学法人会計基準の財務諸表の読み方が分かっていない。
    現物と現金を混同している。

  • 文科省は何を考えてんですかね。
    東和大の場合、募集停止に虚偽の記載があった。それを指摘した実名の内部告発があった。にもかかわらず、黙認。結果的に告発した教員は解雇されました。文科省は根本的な仕事をしていないわけです。不正を黙認している。
    東和大の場合、計画的募集停止(自殺行為)。学生の転学支援をして全く再建する気なしです。こんな学園は保険があってもどうにもなりません。