用語解説:「学歴ロンダリング」とは?

わかりにくい学歴を持つマイスターです。

大学が理工系、大学院が政策系です。
違う大学の大学院に、外部受験で進学しました。

で、世間一般で言うところの「学歴」なのですが…
大学院に進学したことによって、

「世間的に、ちょっと聞こえがよくなった」

ような感じに受け取られるような、なんとも微妙な状態です。

今日は、久々の用語解説です。

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【学歴ロンダリング】
三流大学出身者がその出身大学を隠すために大学院に進学すること

Yahoo!辞書 より)
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大学というものを考える上で、「学歴」について触れないわけにはいきません。
ついては、様々なアプローチの仕方があると思うのですが、今回はこの「学歴ロンダリング」という言葉をご紹介することで、皆様に学歴について考えるキッカケを差し上げたいと思います。

Yahoo!辞書の説明の通り、「学歴ロンダリング」というのは、俗に

「通っていた学部よりも、聞こえのいい大学院に進学すること」

です。(学部段階での編入や、修士→博士で大学を変えることなども含まれると思います)
人に言えないお金を秘密裏にキレイにし、人前で堂々と使えるようにする行為「マネーロンダリング」をもじったものです。

マイスター自身、結果的にこの「学歴の変更」をしている身です。
卒業した学部も、大学院も、ともに素晴らしい学びの場でしたが、大学院の学校の方が、世間的な聞こえがいいらしく、「学歴ロンダリングでしょ?」みたいな見方をされることがたまにあるわけです。

ですので、この言葉には色々考えさせられます。

自分のことをちょっとだけご紹介しますと…
学部時代に通っていた大学は、非常にすばらしい教育をしてくれたのですが、途中でマイスターがなんだか特殊な学問分野(いわゆる学際分野)に興味を持ってしまったため、大学院は、外部に進学するしかなかったのですね。
で、学びたいことがズバリ学べそうな環境は、1校しか見つけられなかった、というか、その大学院の環境に惚れ込んでしまった。

そんな選択をしたわけです。
けど、たまに、そう見てくれない人もいるわけです。
「聞こえのいい学校に行こうとしたんでしょ?」と。

そうした周囲の様々な反応を見ていたおかげで、気づけたことがたくさんありました。

まず、日本では基本的に、「最終学歴」しか見られないのですね。

それも、「どこの大学で学んだか」が重要なのですね。

企業の人事担当者だけではありません。
同僚も、メディアも、近所のオバさんも、よく知らない親戚一同も、
日本人は少なからずそうした学歴観を持っていると思います。

どの学部でどんなことを学んだとか、
学部でのどんな取り組みが、その後の大学院の研究につながったんだとか、
そうしたプロセスが判断材料として考慮されないのです。

なんだか、

どんな教科書を読んだかは評価されるが、
その教科書からどんな知見を得たかは問われていない、

みたいな状態ではないでしょうか。
少なくともマイスターは、周囲の反応から、そんな気分になることがよくあります。

また、

「大学院では、どの大学であるかよりも、どこの研究室であるかが問われる」

みたいな話もよく聞きますが、マイスターの場合、それもありませんでした。
研究主体の大学院ではなかったからです。

というか研究組織もオープンで、複数の教員の研究室をはしごしながら論文を書いているような学生も、いっぱいいました。
教員の下に特定の研究テーマが集まる、のではなく、学生の数だけテーマがあり、教員が学生を指導するのではなくて、学生が必要に応じて教員を使っているような雰囲気でした。
これでは、所属研究室で評価するのもちょっと無理があります。

となると、いっそうこの日本では、最終学歴である大学院の大学名で自分は評価されることになるわけです。

「ロンダリング」という響きは、

「その前の学歴をすべて無かったことにする」

という意味合いを持っているように思います。

日本社会を支配しているのが上記のような学歴観(最終学歴だけしか見ない、どこの大学であるかが重要)であるとすれば、「学歴ロンダリング」という言葉はそんな社会の一部分を実にうまく表現していると言えるでしょう。

(ちなみに、日本で最も多くの大学院生を受け入れているのは、東京大学です。
「最も入りやすい大学院は東大」という言い方だって、ある面では成立すると思います。
研究の場としての東大の充実度は、確かに日本では他に類を見ないものですが、それだけでなく、「学歴ロンダリングにいいから」という理由で進学する人も、少なからぬ割合でいるんじゃないかな、とマイスターなどは感じます)

しかし学びの成果とは、その人に積み重ねられたすべてのものじゃあないのかとマイスターなんかは思っているわけです。

マイスターで言えば、
高校、大学、大学院すべてで違う学びをしているわけで、
その積層が、今の自分を形作っていると思っているわけです。

マイスターは学部と院で専門が異なる、ダブルメジャー的な学びをしているからなおさらそう感じますが、きっと他のみなさんにとっても、学びは「積層」なんじゃないかと思います。

今後、マイスターが博士課程なんかにもし進学しても、それは学術の層を一つ積み上げるだけの話です。
これまで積み上げてきたものが、すっかりリセットされるわけではないですよね。

でも、「学歴ロンダリング」という言葉の響きには、どうも、そういう学習観を否定し、それまでの学習歴をクリアして最後の看板だけで判断するような意味合いが込められているように思います。

そんな、最終学歴だけを重視する社会は、そろそろやめた方がいいのではないでしょうかね。

それに、

今後は、社会人も働きながら大学院に戻って学ぶ社会になっていくと思われていますよね。
しかし、そうした社会人達が「学歴ロンダリング」という発想を中心に学校を選んび、学んでいくことになったら、どうでしょうか?

それで、高等教育が、日本社会が、活性化されるのでしょうか?
マイスターは、そうは思いません。

せっかくですから、「今の自分プラス○○」を求めて、大学院に進学して欲しいと思います。

■【学歴ロンダリングに走る人たち」(All About)
http://allabout.co.jp/study/adultedu/closeup/CU20051006A/index.htm?NLV=CN000042-154

上記は、AllAboutの記事です。
この記事では、

「学歴ロンダリングという言葉は悪いニュアンスであるが、学歴を変えようとする行動自体は評価できる」

という考えが書かれています。

対してマイスターは、

「学歴を積み上げるのも、有名大学院を目指すのもいいが、それ以前の学歴と併せて、総合的にその人の学びの成果と学んだプロセスを評価すべきだ」

という考えなので、若干違います。
学部と大学院でそれぞれどんな学問を選んだか、というのも、その人の考え方を表現する重要な情報ですしね。

建築やデザイン、アート等の分野には、「ポートフォリオ」というものがあります。

自分が作った作品の情報をきれいにまとめたファイルのことで、自分の「制作歴アルバム」であり、制作成果集」です。

デザイナーはこうしたポートフォリオを人に見せてアピールしながら、生涯、仕事を得ていくのです。
仕事で成果物を残せば、その時点でポートフォリオに作品が追加され、バージョン・アップされるわけですね。

学歴、学習歴も、この「ポートフォリオ」のように、
時間が経つに連れて情報が積み上げられ、
どんどん複雑で豊かになっていくような考え方ではいけないのでしょうか。

ちなみにマイスターは飲みの場などで「どこ大学出身?」と聞かれたら、「話せば長くなるんですけどね」と言って、高校から語ることにしています。
(自分の場合、大学名が無意味に4つもあるという笑いがとれるので、ネタにもなっていいんです)

便利で的確な言葉ではありますが、今回ご紹介したこのワードは今後、なるべく社会で通用しなくなるようにしていきたいと思います。

というわけで、今日の用語は「学歴ロンダリング」でした。

3 件のコメント

  • はじめまして。
    自分は修士でドロップアウトした身ですが
    大学教員を目指して博士で学んでいる友人は逆に、
    「学歴ロンダリングは研究職採用の過程ではあまり
     活かされないし、むしろ学部が見られてる・・・」
    と言っていました。
    文系の大学院にはこういうのが多いのかもしれませんね。
    (特に文学部あたり)

  • のなめさん、こんにちは、マイスターです。
    (もしかして、「のだめ」をもじったお名前ですか? 違ったらすみません)
    研究職では、学部が見られる。
    なるほど、それは、存じ上げていませんでした。
    しかし、確かに研究職となると、最終学歴という「看板」だけを評価するわけにもいかないものなのでしょうね。
    言われてみれば、もっともである気がします。
    たいへん、参考になりました。
    ありがとうございます!

  • ”学歴”というより、”学閥”なんですよね。おお、早稲田か。おお、慶応か。みたいな。