その中で、特に学校で役立つものについては、どんどんこのブログでみなさんにご紹介していきたいと思います。
というわけで、突然ですが質問です。
「卵数個と、牛乳数リットル」
を、あなたは売らなければならないとします。
さて、なるべく高い値段で売ろうと思ったら、どうしますか?
そのまま「卵」と「牛乳」をひとつずつ産地で売ったら、大した額にはなりません。
消費材として、二束三文で買われて終わりです。
卵ならいっこ数十円、牛乳でもせいぜい200円くらいでしょうか。
料理に使いやすい数量でパッケージングし、住宅地のスーパーで販売したら、ちょっとは値段があがるでしょう。
いや、いっそケーキやオムレツなどに加工して売ってみてはどうでしょうか?
うまくすれば、数百円、いや、千円くらいとれるかもしれませんね。
みなさんなら、いかがされますか?
ちなみに、マイスターの答えは…
○牧場に子供達を集め、
朝から干し草集めや牛のえさやりなどの体験をしてもらい、
牛の乳搾りと、ニワトリの世話させ、
収穫された卵と牛乳を使って「親子で作る、取れたて素材のケーキ教室」を開催。
です。
さこれだといくらの金額に相当すると思いますか?
マイスターの考えでは、うまくすると、
参加者一人あたり一万円くらい取れるんじゃないかと思います。
不思議ですよね。
参加者は朝早くから牧場に出かけ、
自分で苦労して干し草を集めたり、卵や牛乳を集めたりしたあげく、
しかも自分でケーキを料理しています。
なのに、出来合いのケーキを買うより、多くの金額を支払っているのです。
で、どちらの方が、顧客満足度が高いかというと、
おそらく自分で材料を収穫し、ケーキを作る経験をした方です。
「1リットルの牛乳」を、最も高く売る方法ってなんでしょうか?
同様に、「1年間、学校にいる時間」を、最も高く売る方法ってなんでしょうか?
プロデューサーであった名残で、そんなことをしょっちゅう考えているマイスターです。
今日は、大学院生のときに読んだ、一冊の本をご紹介します。
学校という世界から遠いように思えるタイトルですが、実は、教育業界の人の教科書にしてもいいんじゃないか、というくらい、私達に刺激を与えてくれる本です。

学生時代に図書館で借りて読んで、目からウロコが落ちた本です。
プロデューサーとしての、自分のバイブルの一つです。
経験経済の解説の前に、以下の4つの言葉をご説明します。
【コモディティ】
コモディティとは、消費材を意味します。
例えば、
問屋が「グラムいくら」で買っているコーヒー豆。
大袋で売られる小麦粉。
消費者は、ひたすら「安さ」だけを基準に製品を選ぶ、それがコモディティです。
価格以外に、差別化を図る要素はありません。
【製品】
コモディティが、若干カスタマイズされると、「製品」になります。
加工業者が豆を挽いてパッケージングし、
ブランド名の入ったパッケージに包んでスーパーで販売すると、
コモディティは「製品」になります。
価格以外にも製品を選ぶ要素が若干出てきますが、
それでもまだ、価格が一番の選択要素です。
【サービス】
コーヒー豆という製品が、その辺のレストランやカフェで飲物として提供された時、それは「サービス」という売り物になります。
入れ方がうまいかヘタか、ということで、製品に差別化が図られるようになります。
【経験】
ふかふかの絨毯が敷き詰められた超一流ホテルのレストランや、
40階ビルの最上階レストランの窓際、
あるいは地中海沿岸の観光地、海に面するこじゃれたカフェの席、
そんなところでコーヒーを飲む場合、価格は跳ね上がります。
(一杯1000円以上のコーヒーが売られていたりしますよね)
この場合、顧客は単にコーヒーの味に値段を払っているのではありません。
その場所の雰囲気や、そこで過ごす時間という「経験」に、
対価を支払っているのです。
以上、4つのキーワードでした。
ではここで、冒頭でご紹介した、卵と牛乳の例を思い出してみてください。
卵と牛乳は、そのまま売れば、ただのコモディティです。
しかし、売り手の考え方ひとつ演出力ひとつで、それが「経験」という売り物に化けたのが、おわかりでしょう。
価格で見た場合、
コモディティ < 製品 < サービス < 経験
という図式が成り立っているのが明らかです。
その価格差、実に数十倍以上。
経験を販売することで成り立つ経済行動、これが本書が提唱する「経験経済」です。
本書は、「経験」を販売する「経験経済」の重要性を説き、
そのための、脱コモディティ化のマーケティング戦略について解説している本なのです。
本書では、
コモディティ:代替可能な自然界からの産物
製品:用途に応じ規格化されたもの
サービス:他人にはしてもらいたいけど、自分ではしたくない仕事
経験:顧客を魅了し、サービスを思い出に残る出来事に変える
という説明がなされています。
-経験は、弾四の経済価値だ。サービスが製品と異なるように、経験もサービスと異なる。経験は常に身の回りにあったけれど、これまではドライクリーニング、自動車修理、卸売業、通信業などといっしょにサービス業に分類されていたため、存在に気づいてもらえなかった経済価値である。
サービスを買うときは、自分のために行われる形のない一連の活動に対価を支払っている。経験を買うときは、思い出に残るイベントを楽しむ時間に対価を支払っている。だが経験を買うときは、顧客の心をつかむべく、あたかも劇のようにステージングされた経験に対価を支払っている。-(以上、本書より)
もうおわかりでしょう。
普段わたしたちがよく使う「サービス」というのは、
「顧客がやりたくないから、対価をもらって代わりにやってあげる」
という類のものです。
対して「経験」とは、
「顧客が、自分のために好んで自ら体験し、対価を支払って行う」
という類のものです。
こうしてみると、普段、私達はサービスと経験をごっちゃにしていますね。
それを分けて考えてみると、「経験」のすごさがわかるのです。
自社の製品がコモディティ化していくことを望む企業はいません。
そこには、他社に対する優位性はありません。
顧客は、「別にどこの企業の製品でもいい」のですから。
違うのは価格だけです。
コモディティ化はすなわち、終わりのない価格競争に巻き込まれることを意味します。
コモディティが、製品→サービス→経験とカスタマイズされていくにつれて、製品の独自性は高まっていきます。
「その企業の、その製品でなければいけない」
「そこでしか提供されない経験なら、相応の対価を支払ってもいい」
ということになってきますね。
その結果たどりつく、差別化の究極の形、それが「経験」だということです。
経験経済のレベルの商売では、
販売員はホストに、
店長は演出家に、
製品企画担当者はプロデューサーに、
それぞれなることが求められます。
そうして、顧客が満足する経験を販売することで、大きな対価を得るというビジネスモデルです。
こうご説明すると、ディズニーランドのことを連想される方がいるかも知れません。
はい、まさにディズニーランドこそ、典型的な経験経済のビジネスモデルです。
スターバックスも、ある意味、経験経済のモデルです。
ドトールでコーヒーを飲む時より、スターバックスでコーヒーを飲む時の方に、私達は多くコストを支払っています。
それは、スターバックスが提供する「経験」の価値に寄るところもあると思います。
(デートの時、ドトールとスターバックスがあったら、なんとなく前者よりは後者でコーヒーを飲みませんか?
私達はスターバックスが演出する雰囲気にいくらかの対価を支払っていて、しかもそれを承知しているはずです)
さて、この経験経済の考え方がもっともうまく馴染む分野の一つが、
実は「教育」なのです。
このように書くと、これまでご紹介して来た例から、
「教育は、ディズニーランドのように顧客を楽しませるものではない」とか、
「教育は自らが苦労して成し遂げるもので、誰かに提供されるものではない」
とかいった批判が寄せられるかも知れませんが、それは誤解です。
確かに、経験経済の事例として挙げられるものの多くは、エンターテイメント産業に分類されています。
しかし、「経験経済=エンターテイメント産業」ではありません。
顧客にとって、経験は、様々な次元でとらえられるものだからです。
時間をかけて苦労し、その経験に喜んで対価を支払う顧客だっているのです。
本書では、「経験」のステージングにおける4つの領域として、以下を挙げています。
○Educational (教育的)
○Escapist (脱日常的)
○Entertainment (娯楽的)
○Etsthetic (美的)
ご覧の通り、Educationalが、経験経済の一要素としてあげられています。
「自らが学ぶことで、自分を変えられる」というのは、大変強い魅力を持った「経験」なのです。
この考え方に基づいて、私達の普段の仕事ぶりを見直してみましょう。
たとえば大学関係者が顧客からいただいている代金は、何に支払われているのでしょうか?
本人の代わりに事務処理をしてあげることへの対価?
本人の目の前で、学問を解説してあげることへの対価?
レポートの採点をしてあげることへの対価?
企業からの求人票をまとめて、紹介することへの対価?
そうではないはずです。
大学は、切り売りされたサービスを販売している店舗ではありません。
本来学生は、「自分を変える」という経験を買うために、莫大な学費を支払っているはずです。
学生さん達が自ら喜んで学びに苦労し、学内外で大変な挑戦を繰り返し、汗と涙を流して自らを鍛え上げていく、
そのための経験を、私達はいったい、どこまで提供できているのでしょうか。
例えば私達はスポーツジムの会員になるために多額の対価を払い、毎週、そこで疲労と戦いながら大変な苦労をして汗を流しますが、それはそこで得られる「自らを変える」という経験に期待しているからですよね。
優良なジムはそこをきちんと正しく理解しているので、ただマシンを貸し出すだけでなく、「美しくなった自分」をイメージさせる演出を店舗内の随所に施します。
そういった雰囲気に包まれ、私達は、「よし、頑張ろう」という気になるわけです。
それは別に悪いことでも、責められることでもありません。
大学では、自分たちがそうした「経験」を売っているんだということが、
いったいどこまで意識されているのだろうか、と思います。
サービスでなく経験を売る、という発想で商売をするなら、
例えば入学から卒業までの4年間(あるいはそれ以上)について、担当各部署には非常に緊密な連携が求められるようになるはずです。
プレイヤーである学生の学びを最大限に高め、学生が自分を変革するための演出が、随所に一部のスキもなく施されるはずです。
それは、例を挙げると
学生それぞれの興味に合わせたインターンシップ先を、自らのアイディアで開拓してくる営業マンだったり、
学生の興味にあわせて履修可能な科目を学内外からかき集めてきてくれる教務課のコンシェルジェだったり、
世界の裏から取り寄せた貴重な本を、常に図書館の一番いい場所に置いておくライブラリアンだったり、
一般企業だけでなく、国際機関やNPO・NGOから人間国宝の弟子まで、学生のやる気を刺激するような進路をばんばん提示してくる就職課職員だったり、
色々やり方があるでしょう。
人によってはこうしたビジョンを、「サービス過剰だ」と考えるかも知れませんが、マイスターはそうは思いません。
上記で挙げた例はどれも「サービス」ですらありません。
むしろ、どれもこれも、結果的には学生に余計な苦労を負わせることになるものばかりです。
学生が今より楽になったり、さぼれるようになるわけではありません。
ただ、学生がより濃密で豊かな経験をする、その手助けをしているだけのことです。
しかし大学を「サービスの集合体」だと考えている方は、こうしたビジョンに反射的に顔をしかめると思います。
自分が学生の代わりにプレイヤーとして動いてあげる、というサービス経済の論理構造しか持っていないからです。
そうした方は普段から、
「ここまでは、私達がしなくてもいいだろう」
「これは、学生に自分で考えさせるべきだ」
というブレーキの論理で動いているはずです。
でも、そんな仕事、いったい何がおもしろいのでしょうか。
一方、経験経済の論理で動いている方は、行動に終わりがありません。
「こうした授業が○○大にあるらしい。履修できたら、学生の興味を刺激できるかも知れない」
「こうした分野に関心を抱いている学生が多いなら、こういう企業に声をかけてみようか」
「以前のこの企画はいまひとつ参加者を集めなかった。もしかすると、こうしたジャンルの資料の方が、現代の学生にはいい刺激になるかも」
と、学生のためのステージング作業を考え続けなければならなくなるからです。
こうした演出は、完成することがありません。
舞台なら、幕が下りればそれで終わりですが、大学のキャンパスは年中フル稼働、しかも毎年絶え間なく新しいプレイヤー(新入生)がやってくるのですから。
本書は、「経験経済」という概念をキッカケにして、私達の仕事を変えてくれる本です。
自分たちの仕事が安っぽいコモディティや製品、サービスなどではなく、
高次元、高付加価値の「経験」なのだと意識できるだけでも、
確実に仕事に対する考え方が変わります。
というわけで、この「経験経済」という考え方、プロデューサーという職種ではかなり重宝されます。
というか、この経験を売るという発想、プロデューサーの仕事そのものです。
しかし、どの職種でも活かせる内容だと思いますので、オススメです。
「アドミニストレーター」の育成が流行していますが、ぜひそのカリキュラムに、経験経済の理解というのも加えていただけまいか、と個人的に思うマイスターでした。
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※生まれたばかりのジャンルの製品では、戦略上、あえてコモディティ化を狙う企業もあったりするようです。