日焼けした部分と、日焼けしてない部分の境界線が、
「鈴カステラ」
みたいなカラーリングになってしまったマイスターです。
普段あんまり日に当たってないことを物語っていて、あまりかっこよくないような…。
【教育関連ニュース】——————————————–
■「教員採用権、全市町村に 特区以外に拡大、文科省改正案」(Asahi.com 8/22の記事)
http://www.asahi.com/life/update/0822/003.html
■「教職員配置、柔軟に 少人数教育検証も 文科省研究会」(Asahi.com 8/24の記事)
http://www.asahi.com/life/update/0824/003.html?ref=rss
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また、公立学校教員の数について、発表が続きました。
以前ご紹介した、↓この記事も併せてご覧ください。
・学校独自にクラス編成 文科省が法改正案
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50011692.html
今回の記事では、「現場主義」と表現されていますが、
国策によって全国一律に教員を増やすのではなく、
市町村の人事権を拡大させ、それぞれの自治体で解決させる、
という流れは、もう文科省全体の今後の方針として、決定のようですね。
しかし、省庁の発表を見ていていつも思うのですが、
今回の<8/22>と<8/24>の記事で報道された文科省の発表内容って、どう考えても、リンクしてますよね。
「市町村の判断で、教員を雇えるようにする」
「学校の判断で、教員をより自由に配置できるようにする」
って、お互いに相互補完的な内容です。
学校の判断で自由に教員を配置できるようになったとしても、不足分の教員を雇用する権限がなければ、結局は、現場はあまり変わらないでしょう。
市町村が教員を雇えるようになったとしても、「40人学級」という制限がある限り、やはり現場は楽にならないでしょう。
この二つ、どちらかが欠けても、成り立ちませんよね。
建前は、
「文部科学省の調査研究協力者会議が出した中間報告」
と
「文部科学省の正式決定」
ということで、出所が違う今回の2つの発表内容。
ですが、内容を考える限り、これらはともに、同じ方針に基づいて決定された案だと考えるのが自然だと思います。
その方針とは、
「教育の現場については、個々の学校および市町村が責任を持つようにする」
です。
これが今後の文科省、および政府の、これからの教育政策の柱なのだと思います。
で。
この方針自体は、悪くない。
いや、むしろいい…と思える。
いいと思えるのですが…なんで、いちいち2日間、発表をずらすかな。
しかも、わざわざ、「文部科学省の調査研究協力者会議」という、なんだか客観的っぽく見える団体を間に挟むかな。
どう考えても、裏ではもとから、大枠のストーリー用意されていたでしょ、これ。
少なくとも20日くらいの時点で、文科省の方々は、両方の発表内容知っていたでしょ。
だったら、二つまとめて、発表すればいいじゃないか、ねぇ。
「文科省としては、40人学級を全国一律に30人、20人学級にするような指導はしません!
教育の現場については、個々の学校および市町村が責任を持つようにしていきたい!
ついては、市町村の判断で、教員を雇えるようにしていきます!
それだけでは不足ですから、学校の判断で、教員をより自由に配置できるようにも、制度を変えていきます!」
って、大枠のビジョンも交えて、堂々と国民に説明すればいいじゃないか、ねぇ。
その方が、わかりやすいし、はっきりしてるでしょ。
「文科省が制度を設計した!」っていう主体性と、失敗した時の責任の所在が明確でしょ。
わざわざ、少しずつ、すこーしずつずらしながら発表していって、
「文科省が、全部をズバッと決めた訳じゃないのよ。
でも、自然と、そうなっていったのね。
学識関係者の皆様からも、こういう意見がグッドタイミングで出たし、ねぇ。
どうも世の中は、市町村が責任を持つ方に、流れていってるみたいですねぇ。」
っていう空気を作っているのが、どうもすっきりせん。
自信を持って発表すればいいのに。
メディアのみなさんは、そういうの、不思議に思わないのかな。
以前も、7/30に
「『少人数学級』見送り、次期5年計画で文科省方針」
という報道があったかと思うと、翌7/31に
「学校独自にクラス編成 文科省が法改正案」
という報道が出ていて、何がしたいんだ?と思ったことがありました。
このときも、「まとめて発表せいや」と、ディスプレイに向かって突っ込んだことを覚えてます。
ビミョーに発表日をずらすのが、中央省庁流なのかな?
企業のプレスリリースでやったら、投資家から
「こんなんで全体を判断できるか。総合的な方針と関連づけて発表してくれないと、いい方策かどうかわからないじゃないか」
…なんて非難を浴びそうな手法だと、個人的には感じるのですが。
えー、余計なつっこみが長くなりましたが、どうやら、教員の採用&配置権限は、これから市町村および学校の方に、どんどん下りてくるようです。
人事権を包括的にいただけるのであれば、様々な戦略を立てられますよね。
教育で差別化を図る市町村、だって、出てくるかも知れません。
もっとも、給与を誰が払うのか、についてはまだ中央教育審議会の意見待ちみたいですから、実効性がどこまで発揮できるかは、まだ未知数です。
市町村の財源が拡大されないと、結局、絵に描いた餅になってしまう可能性も。
ところでふと思ったのですが、現在、公立学校の教員は、都道府県が採用してますよね。
んで、県の中で、人事ローテーションしてますよね。
数年ごとに。
まだ詳細は決定されていないわけですが、理屈で言うと、
もし市町村が教員を採用するようになったら、当然その人は、その市町村の中でしか動かないことになるんですよね?
つまり
「数年おきに、他の市町村の学校に移動になる人」
「何年経っても、おなじ市の中にいる人」
という、二種類の公立学校教員が生まれるってことで理解していいんでしょうかね?
でないと、何かおかしいよなぁ。
そうなると、
「県が雇っている人」
と、
「市が雇っている人」
が混在しているのを、うまくマネージメントしていくの、なんだか大変そうですね。
昇進とか、校内の人事あれこれとか、自治体との連携とか、組合とか、混乱しそうですね…。
しかしまぁ、
そんな大変さはあるにしても、やっぱり教員の採用&配置権限が現場に近くなることには賛成の、マイスターでした。
すっごく大胆なことをやる校長先生とか、
すっごく教育現場にお金をかけた自治体とか、
そんな方々が次々に出てきたら、学校はもっとアクティブになるのではないでしょうか。
公立学校にだって競争心が求められる時代ですから、やる気のある学校が力を発揮できるように制度を変えていくのは、大切なことだとマイスターは思うのです。