更新が遅い時間になってすみません、マイスターです。
ギリギリですね…。
東北~関東エリアにお住まいの方、今日の地震はすごかったですね。
マイスター、ちょうど茨城県南の実家から、港区の部屋に「上京(帰京か?)」するところだったのですが、
常磐線がちょっと遅れていました。
ちなみに震度は「4」でした。
常磐線が止まったりすると、クルマを持っていない茨城県民は、何もできなくなります。
もっとも、茨城はアメリカ並みにモータリゼーションが進んでおり、県民の多くは自家用車を所有していますから、あまり影響はないのかも知れません。
マイスターみたいに、ハンパに都内との間を往復しているのが、一番困ります。
地震が起きてから、待ち合わせをしていた友人に携帯電話で連絡をとろうと思ったのですが、つながりませんでした。
電話がまったくかからない状態です。
携帯電話は、災害に対しては無力です。
持ち歩ける分、普段は有線の電話より頼りになりますが、基地局や、基地局同士ををつなぐラインなどのインフラがやられたら、アウトです。
また、普段想定していないほど多くの人数が一カ所に集中して、一斉に電話をかけるような状態にも、弱いです。
(このような状態を、交通渋滞の様子になぞらえて、「トラフィックが集中する」などと表現します)
携帯を持っているからといって、安心していてはいけませんね…。
携帯を使わず、家族と連絡を取る方法を、普段から考えておかないと、ダメみたいです。
普段、マイスターも油断しているので、ちょっと身を引き締められた思いでした。
そんなわけで今日はずっと、安全について考えていました。
マイスター、大学院で、都市の安全コントロールについての授業をとっていました。
阪神淡路大震災が起きてまもなくの間、携帯電話やインターネットなどのメディアは、無力だったそうです。
基地局の大半が壊れたのに加え、身内を心配する連絡が一斉に被災地域に集中したために、トラフィックがあふれてしまったのですね。
実は、被災地でもっとも活躍したメディアは、板にメモ帳のきれっぱしを貼り付けるような、昔ながらの掲示板でした。
はい、とてもアナログです。
全国からやってきたボランティアを手配するにも、掲示板が使われたそうです。
掲示板に、
「○○地域、○○作業 力仕事必要」
などの情報が貼られていく、
それをもとにして人々は活動したのだそうです。
この方法が、最も早く、最も確実だったのですね。
それにシンプルな情報伝達ですから、誰にでも使えます。
もちろんインターネットも、
現地のジャーナリストが被災地の様子をいち早く全国に届けたり、
全国的な被災地支援運動などの基盤になったりと、
様々なところで活躍しました。
メディアそれぞれに、特性があるということですね。
ここで申し上げたいのは、
「本当の大災害に直面した現場では、オンラインメディアは意外に非力だ」
ということです。
災害がおきたとき、学校は、どうやって関係者に連絡をとりますか?
学校から学生さんへ、
学校から保護者の方々へ。
普段は、電話やメーリングリスト、郵便など、様々な手段で連絡をとっていると思います。
災害時に、これらのメディアに何ができて、何ができないのか。
それを、普段から考えておくべきなのでしょうね。
一例として先日、
震災時帰宅支援マップ 首都圏版
という本についてご紹介しましたが、
この本が提供している
「なんとか歩いて家に帰る」
というのは、大災害が起きたときに、一番最初に大勢の人が求める機能ではないでしょうか。
学校でこれをあらかじめ大量購入しておけば、なにかあったとき、
最低限のことを学生さんや教職員にしてあげられるわけです。
まだ自分でも買っていないのですが、とても気になる書籍です。
ちなみに、災害に遭ったとき、ライフラインの中で、一番復旧が早いのは、電気だそうです。
電波インフラも修理はされますが、集中するトラフィックをさばくには、別の対応が必要になります。
アンテナを積んだ「基地局自動車」のようなものも、こうしたときのために、準備されてきているようです。
次に復旧するのは水道です。
もっともこちらも、ポンプ車などの出動により、水自体はいち早く配給されますね。
最後が、ガスなんだそうです。
ガスもれが起きると、火災などの二次災害につながるので、
ガス管に隙間がないことがはっきり確認されてからでないと、ガスは絶対に供給されません。
そりゃそうですよね。
大学キャンパスは、一つの都市に匹敵する通信インフラ、エネルギーインフラを運用しています。
災害時に、どこが危ないか、何が使えなくなるか、知っておいた方がいいですね。
理学系、工学系の大規模実験施設の中には、事故をひきおこす原因になるものもありますから、気を付けましょう。
黄色と赤紫の「放射能」マークの位置や、
高熱蒸気パイプ、高電圧の実験設備などが代表でしょうか。
生物、バイオ系の管理施設なども要注意です。
災害時の避難場所に指定されているキャンパスも、多いと思います。
避難してきた方々を、どう収容し、どのように生活していただくか。
そんな問題もありますよね。
大学によるのですが、「生活の場」として設計されていないキャンパスって、あると思います。
あなたのキャンパスは、大丈夫ですか?
マイスターの大学でも以前、避難訓練をやりましたが、
「本当の大災害」
には対応できるかどうか。
また、「災害が起きたあと」の行動が、決められているのかどうか。
その辺は、わかりません。
今度、聞いてみようと思ったマイスターでした。
最後に、ちょっと余談になりますが、
関東大震災クラスの災害がおきたときに、必ず必要になるもの、ご存じですか?
それは、おそらく大量に出るであろう犠牲者達のための、「カンオケ」です。
かつて建築学を学んでいたとき、授業で聞いた話ですが、
東京都内の某所に、数千人分の「カンオケ」が、もう十何年も前から、用意してあるそうです。
(場所は、「絶対に教えてはならない」と授業で言われたので、秘密です)
確かに間違いなく、すぐに必要になるものですよね。
国家としては、そうした対策は、とっておくべきなんだと思います。
(でもなんだか冷徹に感じる話でちょっと嫌だなぁ、とそのときは思いました…)
また河川の堤防などにも、そうしたリアルな考え方が使われています。
200年に1度くらいの超・大洪水を完璧に防ぐためには、きっと何十メートルもの、コンクリート製の土手が必要になると思いませんか?
でもそんな堤防があったら、普段、楽しく河川敷を散歩したり、釣りをしたりなんて、できませんよね。
そこで、
「200年に1回、○○人規模の犠牲者が出る」
という予測と、普段の生活のメリットとを、天秤にかけるのです。
そして、
「まぁ、これくらいの頻度で、このくらいの犠牲者がでるぶんには、いいか」
というラインを見極めるわけです。
確率・統計学の世界です。
もちろん、技術者は、犠牲者を限りなく少なく、ゼロにする努力をしているはずです。
でも、実際には500年や、1,000年に一度来るかも知れない大洪水をせき止めるための堤防なんて、誰も作らないし、作れないのです。
おそらくそのときには、確実に何人かの犠牲者は出るとわかっているわけですが、そんな堤防は不要だ、とどこかで割り切って作るしかありませんものね。
危機管理というのは、リアリストにしかできない仕事なのです。
さぞ、プレッシャーも大きい仕事だと思いますが、誰かがやらねばなりません。
マイスターは、とりあえず、学校での被害を確実にゼロにすることを目指します。
このくらいなら、私達の責任で、きっとできるはずですよね。