「家庭教師」は、教育制度の穴を埋める産業?

お盆期間に入ってきて、ようやく周りの友人達と一緒に花火をやったり、飲みに行けるようになったりしてきたマイスターです。
一人で休んでいるのって、孤独なのね。

今日はちょっと個人的な話を。

マイスター、大学生の間、ずっとアルバイトは「家庭教師」でした。

大学院生のときも含めて、5年間ほど、ずっと家庭教師ばかりやっていました。
理由は簡単で、一番、ワリがよかったからです。

毎日バイトに精を出すと、レポートやら論文やらに時間がとれなくなる。
それがちょっと不安だったので、家庭教師を選びました。
週に2時間とか、4時間とかしか働けないけど、必要最低限の生活費は稼げるので、あまり贅沢な買い物をしない人には、オススメです。

それと、「人に物を説明する」という技術を、鍛えたいというのもありました。
もともと、説明したり、知っていることを教えたりするのが好きです。
それを鍛えて、将来、プレゼン強者になるぞ、と思っていたので、一石二鳥でした。

ところでみなさん、「家庭教師」を雇っている人、身近にいました?
マイスターの友人には、いませんでした。

マイスターが小、中学生のときなんて、
「家庭教師」というシステムが世の中にあることは知っていても、
それはどこかのお坊ちゃんやお嬢ちゃんのためのものだと思っていました。

しかし。

いま、「家庭教師」というワードで検索すると、出るわ出るわ。
大手のwebサイトが。

・ググってみました。
http://www.google.co.jp/search?q=%E5%AE%B6%E5%BA%AD%E6%95%99%E5%B8%AB&start=0&start=0&hl=ja&lr=lang_ja&ie=utf-8&oe=utf-8&client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja-JP:official

時代は変わった。

でも、マイスターが学生のころも、実際には多くのニーズがあったようです。

マイスター、某家庭教師派遣会社に登録していたのですが、仕事が無くなることはありませんでした。
マイスターは国語や社会で点を稼ぐ理系、という赤魔導士野郎なので、家庭教師には向いてます。
理系の相手も、文系の相手もできますからね。

ハンパ者で良かった…!と生まれて初めて思ったマイスター学生でした。

しかし、それにしても、
自分の想像を超えて、家庭教師派遣会社の事務所は、いつも指導報告に訪れる学生でいっぱいでした。

あるところには、需要、あるんだなぁ。

そう思いました。

ところでマイスターが家庭教師をしていた頃、家庭教師を頼むのは、以下の3通りのいずれかでした。

 1:かなりピンチな成績で、進学どころか、進級が危ぶまれる

 2:学校でトップクラスの成績。より高いレベルの進学を目指す

 3:通信制学校、または大検受験者

全体として、どのタイプの依頼が多かったのかは、わかりません。

いずれのタイプの生徒さんも受け持ちましたが、家庭事情など、様々です。

こうした実情を見ていて、マイスターがそのとき感じたのは、

「現代の教育システムでカバーしきれない領域というのがあって、
 家庭教師という産業は、そこを埋めるために、使われている。
 そして、そうしたニーズは、とても強く、多い」

ということでした。

たとえば、(2)のような、公立学校の授業で満足できない子供(と、保護者)のタイプ。

高い塀で囲まれたような豪邸(注:マイスター学生から見たら)での指導もしました。
なんていうか、その子供を取り巻く「人生観」というのは、ちょっと不思議でした。

「御三家」「新御三家」みたいなランキングについて熱っぽく語る小学生。
想像できますか?

マイスター、家庭教師をしておきながら、その子に教わるまであまりそうした進学ランキングを知りませんでした。
兄弟そろって、超有名進学校にいくような家庭ですから、
親兄弟からそうした情報が入ってくるのかな、と思います。

こうした価値観の善し悪しはともかくとして、この教育ニーズに合ったサービスを提供できる組織は、そうはありません。

その点、家庭教師は完全カスタムサービスみたいなものです。
その家庭の教育ニーズは、家庭教師が満たしていたようなものでした。

一方で、(1)の「進級もピンチ」なタイプ。

本来、授業でわからなかったところは、学校の先生に教えてもらえばいいと思うのですが、学校のリソースにも限界があります。

指導を受けにくい体制、というのもあります。
職員室で、質問をするって、抵抗を感じますよね。

教員が忙しすぎる、というのもあるでしょう。

というわけで、「補習」授業を、家庭教師が、その子の家庭で行うわけです。

現状、学校で行われる一対多数の授業の、最大の弱点は、

「どこがわからないのか、わからない」

という子供の声を、全部拾えないことだとマイスターは思っています。
家庭教師をしながら、強く感じたことです。
こうした生徒の声を聞いて、それに対応するのは、教育のとても重要な部分だと思いますが、その不足を、家庭教師が補っていた部分があるのです。

そして、(3)の、そもそも学校に通っていないタイプ。

こうした子供達が持つニーズは、とても強いです。
保護者の願いも、切実です。

別に、社会的弱者というわけではありません。
そうした見方は、違っています。

ただ、

「自分たちにあったサービスが、世の中にない」

というだけのことなのだと思います。

こうした子供は、初めから、家庭教師とフリースクールくらいしか、選択肢がありません。
それって、とても不利なことです。
こうしたニーズを埋めてあげるのも、長い間、家庭教師の役割だったと思います。

教育って、本当に全国一律のサービスを前提にしているんだな。

家庭教師として働きながら、そう考えていました。

思えば、教育に強く関心を持つようになったきっかけは、あの家庭教師のアルバイトだったのかも知れません。

最近は、大検対策の参考書も出てきたし、通信制教育も、様々なタイプのサービスが登場してきました。
フリースクールを発展させたような、これまでにはない学びの場も生まれてきました。

きめ細かい進学指導をうたう塾なども、あの頃よりはずっと増えてきています。

それでも、まだまだ、今の教育制度に不満や不安を感じている人は多いんだろうな、と思います。

割高な家庭教師のサービスは、いまも順調に拡大し続けているようです。
今も、家庭教師を頼みたい子供、保護者が、数多くいらっしゃるのでしょう。

それは、現代の教育システムに対する不満の多さ、強さの表れではないか、なんて思うのです。

国の教育制度が、すべてのニーズを埋めるのは無理だと思うし、
家庭教師には、家庭教師の役割があると思うけど、

それでも、こうした不満から、教育全体のことを考えてみることは大切だよなぁ、と思うマイスターでした。

家庭教師をしていた子供達に、久しぶりにまた会ってみたいなぁ。

今日も、最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。