大学には「ミッション」が必要だ

えー、途中途中でレポートしようと思っていましたが、結局今日は、帰るまで投稿できなかったマイスターです。
いやどうも、遅くなってスミマセン。

本日参加したのは、「私立大学庶務課長会職員基礎研修会」という研修でした。
(明日も行われます。2日間のプログラムです)

庶務課長…?って、なんだかイメージしづらい不思議な名前ですが、
もう40年以上続いている会合なのだそうです。

こうした、大学職員の間で自然発生的に生まれたコミュニティって、結構あるみたいですね。

こうした組織間のつながりは、他業種にはあまり見られない、大学のいい点だと思います。

本日の研修は、講演とディスカッションで構成されていました。

講演の講師は…業界の有名人、諸星裕氏でした。

・桜美林大学教員紹介:諸星裕
http://fmsvr.obirin.ac.jp:591/FMPro?-db=fm006.fp5&-format=fm006%2ffm006%5fpar.html&-lay=web&refer%5fname=%8f%94%90%af%20%97%54&ref%5fsyozoku=*&ref%5fsyokui=*&-max=15&-recid=33871&-find=

・講演以来.com:諸星裕
http://www.kouenirai.com/profile/583.htm

えー、「とくダネ!」などテレビに出演していることらしいのですが、私は「とくダネ!」を見られる時間には家にいないことが多いので、顔は存じ上げませんでした。

マイスターが氏を知っていたのは、↓の本に載っていた、諸星氏の過去の講演記録を読んだからです。


SD(スタッフ・ディベロップメント)が変える大学の未来 大学事務職員から大学経営人材へ―筑波大学大学研究センター短期集中公開研究会より

今日は、実際に講演を聴いてみました。

期待していた以上に、過激な内容でした。

マイスターもいつの間にか「大学業界を斬る!」みたいなブログ書きのイメージになっているみたいですが、それどころじゃありません。

マイスターも、こんなブログを書いている以上、一応日米の大学の仕組みについて本を読んだりしてきました。
日本の大学のガバナンスの欠陥についても、大学教育のアカウンタビリティの欠落についても、ちょっとはわかったような気がしていました。

しかし、あそこまでわかりやすく、ズバリの解説をする自信はありません。

職員論もですが、話の中で興味深かったのは、大学の「ミッション」についてです。

自分の大学の「目的」は何か、説明できますか?

「建学の精神」というのは、どの大学にもたいていありますが、そうではありません。

たとえば「国際社会に通用する人材を養成する」なんてのを大学の目的として掲げている大学は、おそらく日本中にいっぱいありますね。

でも、じゃあ、その大学のカリキュラムは、国際社会に通用する人材を養成するために、考え出されたものでしょうか?

また教員は、国際社会に通用する人材を養成するために集められて、このための仕事に尽力しているのでしょうか?

また、国際社会に通用する人材を養成できているかどうか、普段から評価を受けているでしょうか?

おそらく、実際には、そうではないですよね。

マイスターの履歴書に載っている4つの大学とも、素晴らしい大学だと思っていますが、建学の精神は、とても曖昧です。
具体的な教育成果として、評価できるものではありません。

しかも100年以上前に作られたような文言なので、とても現在そのまま大学の目標として通用する物でも、ありません。

ミッションを、持ってないのです。

でも、日本の大学って、みんな、そうですよね。

建学の精神はあるけど、大学の目標 = ミッション、は、存在していないのです。

何のためにその大学が現在活動しており、どのような成果で大学の活動がはかられているのか、どこにも明記されていないのです。

たとえばアメリカでは、

「世界最高の教育をする」

ということだけをミッションに掲げた大学があるとのことです。

http://www.carleton.edu/

学会の会長を務めたような学者を集め、学生に最高の教育を施すことに尽力するのです。
一流の学者をそろえているにも関わらず、研究のための「大学院」はありません。
教育がミッションなのだから、研究のためのスタッフや設備は不要なのです。

おそらく、半端な教育ではありません。「世界最高」を名乗る以上は、最高水準の教育者をそろえるわけです。

この大学、諸星氏が言うには、単純な偏差値的にはハーバードを上回るそうです。
卒業生のかなりが、ハーバードを初めとするアイビーリーグの大学院、ロースクールやメディカル・スクール(医学部に相当する大学院)に進学するそうです。

こうした戦い方もあるんだな、という感じですね。

かと思うと一方で、

「税金を正しく納め、犯罪を犯さず、自分の子供にもそうした道を歩ませないようなアメリカ国民を育成する」

ということをミッションに掲げた学校もあります。
この場合、学校は、教授には研究の成果などは一切求めないのです。
というかぶっちゃけて言えば、教員が博士号を持っている必要も、別にないのです。

ただ、上記のミッションを達成するための教育をしているかどうか、だけを問われるのです。
その代わり、ミッションに貢献できていなかったら、クビです。

ね、徹底してるでしょう。

これが、「学校のミッション」なのですよ。

でも考えてみれば、こうしたミッションがあるから初めてカリキュラムが組めるし、
それを教える人材としてどういう教員が必要かも、考えられるのですよね。
ミッションがないと、学校、作りようがないですよね。

で。
日本のほとんどの大学って、ミッション、ないですよね。

だから、「自分は研究者だ」と名乗る人が研究のついでに教育をしているような、半端な状況も起きるんですよね。

教育でお金を集める大学になるなら、教育のプロを雇えばいいんです。
研究者なんて、ひとりも要りません。

もちろん逆に、「世界最高レベルの研究機関を目指す」というミッションも、アリです。
その場合は逆に、半端な職業教育とか、初歩的な教養教育なんて、思い切ってカットすればいいんです。

こうしたミッションがあってこそ、大学はその目的のために、
人を雇ったり、
設備を整備したり、
学生を募集したりできるんですよね。

ミッションこそが、大学なんです。
ミッションの違いが、大学の違い(優劣ではない)なんですね。
こうなると、試験の偏差値で大学を選ぶことに、意味が無くなってきますよね。

日本の高等教育にはミッションがないから、偏差値でしか大学に差がつかないのかな、と思います。

マイスター、このミッションという考え方、どっかで聞いたことがありました。
それはマイスターが大学院時代に調査した、アメリカの「チャータースクール」に導入されていた考え方です。
この「チャータースクール」については、また稿を改めてご紹介したいと思います。

さて、今日の講演を聴き、大学のミッションについて改めて色々と考えさせられました。

ミッションなんて、マイスターの大学の、誰も考えてないと思います。
教員の皆様は、自分の研究が進められればいい人達のように思われますから、

「教育のためには、研究も必要だ」

と主張して、

「研究と教育のそれぞれで成果を出すことがミッション」

なんてあいまいなことを言うかも知れません。
(あぁ、とても容易にその光景が想像できる…orz)

でもマイスターが思うに、研究と教育の両方で成果をあげている人なんて、日本の大学にはあまりいない気がします。

研究成果を授業で紹介したり、はあるでしょうが、

「教育のプロであり、研究のプロでもある」

という人材にはまだお目にかかっていません。

教育で成果を出さなかった教員は、ミッションに基づいてクビにしたいところですが、日本ではそんなミッション・コントロールも難しそうです。

かたや大学の事務スタッフの方にも、明確なミッションを遂行するために働いている、という意識はないように思います。

思えばマイスター自身も、これまであまり「この課のミッションは○○だ」と意識していませんでした。反省。

ミッションが定まれば、それを達成できたかどうか、という「評価」が可能になります。
評価ができれば、より良い評価を得るための切磋琢磨が生まれます。

やはり、ミッションって必要不可欠なんですねー。

ここでご紹介できるのは、講演の内容のごくわずかです。
この他にも、非常に参考になる事例が数多く紹介されました。

できれば諸星氏には、ぜひ日本の大学の偉い人ばっかりを200人くらい集めて、今日と同じ内容を講演していただきたい!

講演が終わったとき、そう思ったマイスターでした。