えー、本日は「理想的な小学校建築の実例」をご紹介する予定でしたが、
先週報道された、見過ごせない事件をまだ取り上げていなかったので、
緊急措置として、先にこちらについて書かせてください!
【教育関連ニュース】——————————————–
■「<不合格>理由は年齢?55歳主婦、群馬大を提訴」(毎日新聞記事、Exciteニュース掲載)
http://www.excite.co.jp/News/society/20050701184500/20050702M40.020.html
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群馬大は、たいへんなことをしでかしました。
これは、大学の根幹を揺るがす、大変な問題です。
法的には、以下の2点が争われることになるかと思います。
第1に、記事にあるように「年齢を理由とした不合格判定は合格判定権の乱用」ということです。
前提を確認するために、群馬大学のwebサイトで公開されている「アドミッションポリシー」を見てみましょう。
「アドミッションポリシー」という言葉は聞き慣れないかもしれません。
これは、大学がどのような基準で学生を入学させるかを表明した公式な見解や原則のことです。
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<選抜方法 -このような選抜を行います->
社会構造の複雑化に伴って医師に対する社会的要請は多様化しているので、背景や価値観の異なる多様な人材を求め、以下のような入試選抜を行います。
(1)一般選抜:高等学校卒業ないしそれと同等の資格を備えた者に広く門戸を開いています。
(2)推薦入学:学習成績、人物、及び健康等に優れた人材を高等学校長の推薦に基づき、書類審査、小論文及び面接によって選抜しています。
(3)学士編入学:大学卒業者ないしそれに準ずるものに受験資格があり、小論文及び面接により選抜しています。合格者は3学年に編入し、4年間の医学教育を受けます。
以上、「群馬大学医学部 アドミッションポリシー」より抜粋
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推薦入学および学士編入学では、センター試験や一般筆記試験を課していません。
ですので、この報道の受験者は、一般選抜での入学を希望した学生ということになります。
アドミッションポリシーの記述を見る限り、一般選抜では、書類審査や面接による合否判定は行っていないと読み取れます。
つまり、試験の成績以外で合否を判定することは、間違いです。
受験生には、学力だけで判断すると言っておいて、実際には他のところで落としたわけですから、重大な契約違反だと言えるでしょう。
これだけでも、法的に問題の行為です。
第2に、これは学問の自由、学ぶ権利の侵犯です。
日本国憲法第23条にも、「学問の自由は、これを保障する。」とあります。
決して、「ただし若者に限り」なんてことは書かれていません。
老若男女、国民全員に与えられた基本的人権のひとつです。
年齢を理由に、学ぶ権利を否定されるようなことがあってはならないと、憲法は規定しているわけです。
したがって群馬大学の行為は憲法違反です。
わざわざ憲法に照らし合わせるまでもなく、学問の自由は大学が長い歴史の中で自ら獲得してきた大切な権利だと思うのですが、そのあたりの認識が群馬大学の入学課や教員にはなかったのでしょうね。
残念なことです。
法的には上記2点が問題です。
しかし大学に勤める者としては、もうちょっと内情が気になります。
まず、何で群馬大学は、55歳という年齢を理由に入学を拒否したのでしょう?
想像ですが、これには以下のような理由が考えられると思います。
1:「全体の邪魔になる」説
55歳に入ってこられると、実習や研修などがやりにくくなり、全体の教育の妨げになると判断した。
2:「本人のためにならない」説
55歳では、仮に医学部を卒業して医師資格をとっても卒業後の進路が決まりにくい。
よって本人にとっても大学にとっても有益でないと判断した。
3:「どうせ卒業できない」説
55歳では、課題や研修に耐えられない。
どうせ卒業できる可能性は少ないのだから、入学させない方がいいと判断した。
他に理由があれば群馬大に聞きたいと思います。
賢明なみなさんはお分かりだと思いますが、
この中のどれひとつとっても、大変に問題のある「理由」ですね。
1の「全体の邪魔になる」説は、言語道断です。
大学側の都合で学生の権利を侵しているわけですから。
どうしても支障がある場合は、アドミッションポリシーに書いておくべきです。
「本人のためにならない」「どうせ卒業できない」説というのも、理由になりません。
もしかしてこれらには、ちょっと同意される方がおられるかもしれませんが、
マイスターは、障害のある方や、かつての女性に対する差別を連想します。
「どうせ挑戦しても、本人が辛い思いをするだけだからやらせない方がいい」
「女性の幸せは結婚にあるのだから、大学院に行くのは無駄だ」
のような。
やってみなきゃわかんねーだろ、っつうの~。
そもそもおまいさんの人生じゃないし~。
こうした同情の押し付けは、教育に関わる者がもっとも敏感に反応すべきところですよね。
そもそも、本来学問とは本人の可能性を広げるためにあるのです。
学問は、無限の可能性を、あらゆる人間に与えてくれるものです。
「本人のためを思って」の判断だかなんだか知りませんが、人の可能性を奪う行為は絶対に見過ごせません。
まして大学の関係者がそのようなことを考えたのなら、これは学問への重大な背信です。
ちなみに、研修が大変なら、
「入学後、および卒業後の研修は非常に体力を要するものである。それを覚悟し、研修に耐えられる自信がある者の入学を望む」
くらいの一文は、アドミッションポリシーに入れなさいって。
本来、アドミッションポリシーってそういうものだと思うんですが、どうも群馬大では形骸化しているみたいですね。
以上、群馬大が55歳女性の入学を拒否した理由の推測でした。
「背景や価値観の異なる多様な人材を求め、以下のような入試選抜を行います」
「広く門戸を開いている」
って書いてあるのに、実際は狭いんだなぁ、と思うわけですよ。
筆記試験のいいところは、あらゆる偏見や思想的偏りが入る余地のない、公平な選抜ができるところだと思うんですが。
選抜に関わった教員や入学課の面々は、なあなあで物事を処理するお役所タイプの人材だったんでしょう。
こういう報道を見ると、腹が立ちます。まったくもうぅ。
以上、ちょっとタイミングが遅くなりましたが、世間に忘れられないうちに書きました。
明日こそ、予定通り、公立小学校の建築について取り上げますね。
以上、ちょっと怒りモードのマイスターでした。
@玉大でも同様な差別を起こしてます。本人の能力とは別に、扱いやすさを前提に採用していると感じました。
そこで働ける教員のレベルの低さに、幻滅します。一般的にも人間性が相当低いのではないでしょうか?
経験として、東京の女子大と@玉大(郡大と合併予定?)です。