今日は、ちょっとだけ、大学の歴史についてご紹介します。
アカデミックな知識を補給して、教員から「雑務要員」と思われないようにする、という、大学事務員の野望に満ちたもくろみです。
世界最古の大学は、イタリアにあるボローニャ大学ということになっています。
創立されたのは1088年とされていますが、定かではありません。
それでも、12世紀半ばまでに生まれているのは間違いありませんので、850年以上の歴史があるわけです。
卒業生にはダンテ、ペトラルカなどがいます。
このボローニャ大学ですが、もともとは「学生の組合」のような集団であったと考えられています。
「法学について勉強したい!」
といった学生さんが集まり、彼らが自ら教員を雇って大学を形成していった、というのが、どうもボローニャ大学の創設期の流れであるらしいです。
学生が作った大学ですから、授業がヘタな教員は学生がクビにしてしまうわけです。
現在の、ほとんど実効性のない「授業満足度アンケート」どころではありません。
また、お金のない学生がオーナーですから、当初は当然キャンパスや校舎といったものは持っておらず、教会や広場など、様々な場所で講義が行われていたようです。
ですので、
「隣の都市に、いい先生がいるらしい」
という話になれば、大学ごとあっさり移動してしまえるわけですね。
(サッカーの中田選手も活躍していた「ペルージャ」という都市は、ボローニャ大学の学生集団が移動したことによって繁栄したという説もあるようです)
まさに、学生の、学生による、学生のための大学。
さて、ボローニャ大学と並んで、中世ヨーロッパの学問的中心となったのが、フランスのパリ大学です。
12~13世紀頃の創立とされていますが、やはり詳細は明らかではありません。
デカルトや、キュリー夫人などは、パリ大学の卒業生です。
(現在、パリ大学は13の独立した大学に改編されていますので、かつてのパリ大学はもうありません。
その中の一つ「パリ第4大学」が、通称ソルボンヌ大学という名前で知られています。)
こちらのパリ大学は、ボローニャ大学とは反対で、教師の組合が起源です。
「私は神学について教えられるぞ。教わりたい学生、集まれ!」
といった感じで大学が形成されていったとされています。
このパリ大学はやがて、神学・法学・医学の教授団によって構成される上級3学部と,教養系の教授団によって構成される教養学部というモデルを形作っていきます。
この学部という考え方がドイツなどに移植され、現在、世界中の大学に引き継がれています。
中世の大学には、こんな、2種類のでき方があったのですね。
「ユニバーシティ」という言葉の語源「ウニヴェルシタス」は、もともとは「ギルド」と同じで組合を意味します。
ボローニャ大学は学生の組合、パリ大学は教師の組合。
両大学とも、自然発生的に生まれた組合が、大学を形作っていったのですね。
その歴史の中で少しずつ、「学問の自由」「大学の自治」といった権利を積み重ねていったのです。
…なんていう歴史も、たまに読むと面白いですよね。
こんな奥深い世界に自分はいるんだなぁ、と思います。
※イタリアのサレルノ医学校は、9世紀頃の創立とされていますので、大学としてはこっちの方が古いという説もあります。
ただ、中世ヨーロッパを代表する大学が、ボローニャ大学とパリ大学であるのはほぼ共通認識のようです。
ちなみに日本の大学史は近代からのスタートですが、志を持った実業家や政治家が、私塾のような形で教育機関を設立し、それが大学になったケースが多いようですね。
国立大学の場合は、国家のための人材育成を目的としているのがほとんどです。
ところで、日本の大学教授で「学生のために私達は雇われている」と心の底から思っているセンセイは果たしてどれくらいいるでしょうか。
ボローニャ大学創設時のようなモデルを、つい、夢想してしまうマイスターでした。
このような記事を書かれている方がおられたのは知りませんでした。
他の記事を読んだら、つくば等で学ばれたりしてあるんですね、納得してしまいました。
また、お邪魔します。いいサイトが見つかってラッキーです。
ぱぴこさん、こんにちは。マイスターです。
コメントいただき、ありがとうございます!
さっそく、ぱぴこさんのブログも拝見いたしました。
教育学の視点から様々な記事を書いておられるようで、こちらこそ、勉強になります!
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。