知恵でまわる大学事務

大学を表す言葉に「知」という一文字があります。
さて、同じ「知」でも、「知識」と「知恵」の違いはご存知でしょうか。

「知識」とは、文書などで伝達可能な情報を指します。
誰が読んでも伝わる、客観的に伝えられる情報ですね。
私達が本屋で買うビジネス本や、新聞、論文、webサイトなどから得る情報は、「知識」です。

一方「知恵」というのは、文書などではなかなか伝達できない類の情報です。
「マニュアルには載ってないけど、この事務処理はこういう扱いにしておくと、後々の手続きが楽だよ」とか、
「誰も知らないけど、こういう問題が5年に1回くらい起こるから、気をつけてね」とか、そういう情報です。
「先輩の仕事ぶりから自分で盗め!」とか、「親方の背中を見て育つんだ!」とかいう言葉が使われるときには、どうも「知恵」の方を指していることが多いようです。

どちらが上というわけではなく、知には2種類あるんだよ、という話です。
研究者は、こうした知識と知恵をそれぞれ「形式知」「形態知」なんて表現することもあるようです。

知識が、本などのメディアから得られるものだとすると、知恵は、人生を通じて得られるもの、だと言えるかもしれません。
なんて書くと、知恵の方が知識よりエライみたいですが、実際には、どちらも必要だと思います。

例えば、「知恵」はすばらしいのですが、
・情報として残しにくい、誰が見てもわかる情報として伝達しにくい
・個人の工夫から編み出される知恵が多く、なかなか共有化されない
・担当者の知恵で解決されていたレベルの問題が、担当者の交代とともに突然表面化して困ったりする

などの問題もあり、なかなか扱いは難しいです。

また、
「知識」は、他の会社や他の業界に転職しても、活かされる部分があると思いますが、
「知恵」は、その組織、その職場の中でしか意味を成さないものが多いので、
知恵をいくらストックしても、転職市場の競争力に直接つなげるのは難しいように思います。

かといって、「知識」だけで成り立つような会社も、ほとんどありません。
事務手続きなどには、マニュアル化しきれない処理がどうしても出てきてしまいます。
そういうときは「知恵の宝庫」みたいなベテラン職員が問題解決のために呼ばれたりしますね。

 - – –

で、大学職員はというと、部署によっても、大学によっても違うとは思うのですが、少なくとも全体としては「知恵」の方ばっかり求められている人が多いような気がします。

似たような仕事である行政事務、例えば市役所の人たちはどうでしょうか。
こうした行政手続きは、条例などで扱いが決められているものが多いので、調べれば、「これはどう扱うべきか」がすぐわかったりします。

大学の事務は、いちおう重要なものは規定で固められていますが、
細かい扱いだと、良くわからない穴もいっぱいあります。
 ※「教授たちがOKって言えばOK」みたいな。
その穴を埋めるために、知恵の方ばっかりが発達することになります。

さらに!大学の運営にはセンセイ(教員)も関わりますが、この方々は職員とは反対に、知識を頼りに生きている人たちです。

そうするといつの間にか、「客観的な知識が必要なことはワシ達がやるから、事務員は事務処理の穴を知恵と工夫で埋めとけ」みたいな意識が、教員にも職員にもできていたりするのです。

※実際、職員でまとめた企画をプレゼンしたら、「知識がある教員がいっぱいいるんだから、先生たちの知識を活かすといいよ」みたいなことを言われたりしました…俺達には知識は求められてないんかい…orz。

しかし、ここで私、マイスターは、全国の大学事務職員を勝手に代表し、声を大にして言いたい。

大学のマネジメントに関しては、高度な知識が必要で、それは研究の知識とは違うと思います!

もういっちょ。

研究に忙しいセンセイが片手間にマネジメントを勉強するより、精鋭職員の中から有能なマネージャーを育てた方がいいと思います!

実際、一般企業では<問題提起→企画立案→実施>を1~3ヶ月くらいでやるところを、大学では2~3年くらいかかったりするのは、なぜでしょう?
(六本木ヒルズの住人達なら、1週間で具体的な案まで持っていきますぜ、ダンナ)

多分、知識担当のセンセイたちが、大学のことだけ考えているわけにはいかないので忙しかったり、
そんなセンセイ達が、教授会の多数決でものごとを決めていたり、
職員が知識を武器にすることをはじめっから放棄していたり、
そもそも事務職員から役員が一人も出ない運営組織(ウチの大学の役員は100%教員)だったりするからなのかな…と、
社員5人ベンチャー企業出身のマイスターは思うのです!

はぁ、はぁ、なんだか鼻息荒い文章になってしまったかも知れません。いかんいかん。

知恵は大事で、知恵を持った職員は組織の宝物だけど、
知識で勝負する職員もいないと、それはそれで困ったことになるよね。

まぁ、何が言いたかったかというと、自分は知識でも戦える大学のプロを目指そうということなのです。